fujinosekaic’s 世界史授業備忘録

世界史教員生活30年記念

#19 コルテス ピサロ ラスカサス

日本語って便利なもんで音節切りで暗記しやすいゴロがあります。

アステカ インカ キリスト教化って具合です。

Home of Francisco Pizarro(1471 – 26 June 1541:カスティーリャ王国エストレマドゥーラのトルヒージョの生まれ-1541年6月26日にディエゴ・デ・アルマグロの遺児一派にリマで暗殺) was a Spanish conquistador who led an expedition that conquered the Inca Empire. He captured and killed Incan emperor Atahualpa, and claimed the lands for Spain.  

Hernán Cortés 1485年 メデジンカスティーリャ王国出身

メキシコ高原にあったアステカ帝国を征服した。 

ラス・カサスはスペイン、アンダルシア地方のセビリアに生まれ

インディアンを奴隷として所有使役しながら、農場を経営

1506年、セビリアに戻り司祭職へ。

インディオは奴隷酷使され、また虐殺によって数を減らし、南米へ逃亡するものが後を絶たず、奴隷労働力としてすでに役に立たなくなっていた。このため、このころのラス・カサスはインディオに代わる労働力として西アフリカから運ばれた黒人奴隷の利用もやむなしと考えていた。

Bartolomé de las Casas spent 50 years of his life actively fighting slavery and the colonial abuse of indigenous peoples, especially by trying to convince the Spanish court to adopt a more humane policy of colonization.

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Francisco Pizarro was born in Trujillo, Cáceres, Spain (then in the Crown of Castile) in modern-day Extremadura, Spain.

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Born c. 1484@Seville, Crown of Castile
Died18 July 1566@Madrid, Crown of Castile, Spain
Buried@Basilica of Our Lady of Atocha, Madrid, Spain

この3年ほど🇪🇸スペイン大使館にはお世話になりました。って事で感謝してます。f:id:fujinosekaic:20180925113513j:image
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②の人物 よっ!

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幼名はグエン・シン・クン(ベトナム語: Nguyễn Sinh Cung / 阮生恭)、成年後はグエン・タト・タイン(ベトナム語: Nguyễn Tất Thành / 阮必成)。第二次世界大戦までに使用していた変名のグエン・アイ・クォック(ベトナム語: Nguyễn Ái Quốc / 阮愛國)でも広く知られる。ベトナム人民からは、親しみを込めて『ホーおじさん(バック・ホー、ベトナム語: Bác Hồ / 伯胡)』の愛称で呼ばれている。

Wikiより、版権の関係からねー

 

2人の英雄

写真から読み取れる事は何かなと?f:id:fujinosekaic:20180922215840j:imagef:id:fujinosekaic:20180922215845j:image

①の彼が殺したと言われている人物を覚えるのも重要であるが、彼がどこで死んだかも大切。
②の彼がどこに行ったのかも大切ですよね。
わからない生徒は歴史担当教員と対話して欲しい。喜んで話してくれるはずです。

 

#19 勝手に輪切りby誰?  逆はサラゴサ

勝手に歴史SOGO

総合学科の世界史Aで試行する(思考)する「歴史総合」への道

 

①内容の精選=2単位で何ができるか

②指導の効率化:

PPX4枚で1時間の授業計画(50m)=10分×4=40+アルファ 集中力は10分が現実ではないか

 

③テーマの設定(IE: Go west by 西とか)

④指導のrational reason=受験に出るからやるのか?

⑤教科書の活用:せっかくある共通教材

⑥ノートを取らせる:COPYではない

⑦協働学習と共同学習

⑧独自資料の活用:Print=画像(イラスト・写真、Data=表・数値)

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難しい問題です。高校生には厳しいか?

不法占拠者排除と「施し」禁止条例
 ジャカルタやスマランなどの大都市には、潜在的「ホームレス」としてKampungliarと呼ばれる不法占拠地に極めて多くの貧しい人びとが住んでいる。彼らの大半i土地方出身者で、農村で食い詰め、農地を放棄して都市に移住して来た家族連れである。礎材やブルーシートで小屋を建て、廃品収集、小高業、ベチャ(自転車タクシー〉引きで糊口をしのいでいる。都市開発、インフラ整備事業を進めるため、あるいは都市の「美観」を損なうという理由で、ジャカルタなどの地方自治体は、不法占拠者を暴力的に排除している。一方、インドネシアの住居と定住に関する法律(Undang-Undang No.41992,Ar ticle5[1J)では 「健康、安全かつ整った環境にある適切な註屠に住む権利」をすべての市民に認めている。しかし不法占拠者は17歳以上の全冨民が持つ身分証明書(kartu tanda pendudul王KTP) を持たない。 これは選挙権や教育などすべての公共サービスからの排誌を意味し、最悪の場合「共産主義者」として政治的弾圧すら受けかねない。
「物乞い」 もまた排除の対象である。ジャカルタなどの大都市では、ショッピングセンタ一、デパートおよび市場周辺、交通量が多い信号付近で「物乞い」をする女性や子供は、警宮によって追
い払われる。警官が去るとまたすぐに現れる。このイタチごっこに業を煮やしたのか、ジャカルタ特別市は、2007年9月、路上の「物乞い」、ストサートチルドレンに金を与えること、違法な物売りからの物品購入を禁じる条例を制定した。罰則は10-60日の拘留あるいは10 ($11) -2000万ルピア($2100) の罰金である。この条例は全国の大都市に広がるかもしれない。

インドネシアにおける「ホームレスjと「物乞い」
一一ジャカルタとスマランにおける課査の中間報告一一
巨次
I はじめに
E社会経済の概況
E調査対象と方法
百開き取り講査の結果
V暫定的考察
百おわりに
Zはじめに
1994年、鶴見良行先生の下で学びたいと、龍主主
大学大学院経済学研究科に入学した。先生の詔分
で初めてインドネシアを訪れることになった5 調
査直前、先生は突然、帰らぬ入となった。先生iこ
開けなかったたくさんの質問と、大きな悲しみを
胞に抱いて、インドネシアの土を錯んだ。以来日
年、ず、っとこの国の人たちと関わり続けてきた。
筆者が親しくしているのは、ジャワの零細自営
業者だ。市場の物売り、行商、食堂経営者、食品
加工業者、土地なし農民、海外出稼ぎ労働者など
である。誰一人として金持ちはい会い。誰一人と
して欝い入もいなし」しかし彼らからもらったも
のは計り知れない。
鶴見先生はよくこんなことを言っていたo Iア
ジアをよく見てから日本に婦ると、日本のおかし
さがよく見えるJ当時は、その意味がわからなか
ったむ中部ジャワ州スマラン(Semarang) 県ア
ンバラワ(Ambarawa) という人口10万人ほどの
小さな町の小さな斎場に毎日通って、女性小商人
2007 No.38
鵠田ミカ 

http://opac.ryukoku.ac.jp/webopac/KJ00005241954._?key=IFGNUZ

不法占拠

 

 

「高架道路下のカンプン」

http://dragonnest.blog55.fc2.com/blog-entry-133.html より紹介します

状況はまさにこのままでした。場所も建設中の高速道路と川の間です。

インドネシア情報ライン 2007年08月20日)

 インドネシアには何でもある。 首都の高架道路の下には数千人が住む集落があり、そこには人が生活するために必要な水・電気・電話などのインフラまで備わっている。 地元住民を対象にして食堂・ワルテル・美容サロン・ゴミ処理・雑貨売店・礼拝所・ビリヤード場からコスコサンまで多種多様なビジネスが営まれているのは、普通の住宅地区と変わらない。 違っているのはそこがスラムだということだ。 場所によっては駐車場やプラスチックゴミ倉庫・古紙倉庫などの事業すら営まれている。

  本当に首都の高架道路の下には「何でもある」。「電気は配線されていて毎月電気代を払ってる。15万ルピアくらいだ。電力は1200ワットもあって普通の家より大きい。水は自分のポンプで5メートルくらい下から汲み上げてる。ここは海から近いから深く掘ると塩水が出るんだ。」 先日ジュンパタンティガ地区で高架下を焼き尽くした火事の被害を免れた住人のひとりファフロジはそう語る 。一般家庭の標準供給電力量は450ワットだから電力メーターなどない高架下の電力事情は豪華だと言える。

  かれは高架下の50平米ほどの区画で家族と一緒に2年前から定住をはじめた。 そこには携帯電話バウチャー売店と廃品集積場そして住居が建てられている。 高架下の住居は2階建ても少なくない。土地占有者の経済力次第なのだ。高架道路下集落では住民組織が作られていない。住民はほとんどが地方出身者で、かれらはそれぞれその土地が所属しているRT(隣組)やRW(字)に届け出て居住しているだけ。

  北ジャカルタ市プンジャリガンのラワベベッスラタン通りに近い高架下には2x3メーターの仮小屋が並び、一ヶ所に3人が暮らしている。中部ジャワ州スラカルタから上京してきた数十人はそこに暮らして野菜の巡回販売業を営んでいる。家賃はひとり30万ルピアで、手押し車はRTから許可をもらって道端に置いている。駐車代はひと月1万5千ルピア。高架下で騒ぎが起こることはめったにないが保安にはいろいろと気を使っている、と2000年以来の住人のひとりはそう語る。最近も仲間のひとりが「家」の前に停めておいたオートバイを盗まれたそうだ。

 しかし早晩、この高架道路下のカンプンは姿を消す運命にある。火事を出して都内環状自動車道に数十億ルピアという損失を引き起こした事件のために、公共事業相はすべての高架道路下カンプンを撤去せよと命じたのだ。当分、首都の高架道路下には何もなくなることになるだろう。

ということでしたが、現状は、、、、

これは昨年歩いたエリアも同じでした。

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