fujinosekaic’s 世界史授業備忘録

世界史教員生活30年記念

センター試験は問題が問題である。 カナリ昔に書いた文ですが

以下は何年も前に書いたのですが、、、 やっと次代が追い付いてきたようで

過日予備校によるスパイ事件の様な問題冊子の持ち出し事件まで発生したセンター試験であるが、昨年の様な大きなミスは起きなかった様で高校側としてもほっと胸を撫で下ろしているところである。しかし、そのテストの問題文や出題形式には大きな課題があることを現場教師として指摘したい。少なくても、過去25年ほど担当してきた世界史Bに関して言えば、あまりにも現場の授業を無視した内容になっている。公平性と平均点(標準偏差)を意識のするだけで、設定された問題の歴史的意味合いや、出題意図に大きな疑問が浮かんでしまう。いや、問題文と設問で約1万字、歴史的用語や年号で300項目を60分以内で解答すること自体に大きな疑問を感じる。要は膨大な量の知識が必要である。そのためには効率的な学習をした、早押しクイズ王では無いと高得点は不可能である。出題形式も 複雑化し、歴史的展開や意味だけの理解では全く解答できない構造になっている。勿論、指導要領その物が現実の授業を無視した内容になっていることが根本的な問題があるので、センター試験のみを非難することには反対である。しかし、このままでは日本の世界史教育はガラパゴス化が一層進むだけである。少なくとも、世界を学ぶ以上は海外の指導事例を参考にすべきであるにも関わらず、日本は今だにテスト一発勝負の暗記量測定中心主義である。世界史教育にもアイフォンやTPPが必要なのだ。いや、大学入試問題だけで無く、知識注入主義から脱却し世界の流れ、グローバルスタンダード、世界標準を意識すべきではないだろうか。もちろんその為には、指導方法や指導内容・領域と評価方法の再構築が必要である。

例えば、いわゆる先進国の高校世界史では古代ローマは教えていない。

 

日本なりの世界史があっても良い。

欧米でも無く、また植民地と言う被害者としての歴史観でもなく、真実を見抜く眼を

 

自虐史観や歴史修正史観でも無く

 

先進国の流れは、知識をまとめて、更にそれをどう他者に伝えるが大切な評価基準

 

 

 

やり直しの世界史

 

学校では教えてくれ無かった本当の事

 

 

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