fujinosekaic’s 世界史授業備忘録

世界史教員生活30年記念

2018 夏の終わりに想ふこと w

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f:id:fujinosekaic:20181006204011p:image「ナパーム弾の少女」自由を求めて滑り込んだ空港のドア:朝日新聞デジタル

この夏のサイゴン再訪と知事選挙を併せて考えてみました。

https://www.asahi.com/articles/ASL9K4F31L9KUCFI001.html

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この記事です。あの有名な写真の少女です。「ナパーム弾の少女」自由を求めて滑り込んだ空港のドア
文・藤えりか 写真・仙波理2018年10月1日05時23分
【動画】自由を求めてカナダに亡命したキム・フックさんが、当時の様子を振り返る=仙波理撮影
キム・フックさんが亡命申請したガンダー国際空港の夜明け。空を覆っていた雲が赤く染まっていった=2018年7月14日、カナダ北東部ニューファンドランド島
 焼夷(しょうい)弾に焼かれ、泣き叫び裸で逃げる9歳の少女――。1972年、ベトナムの旧サイゴン(現ホーチミン)郊外で撮影された「ナパーム弾の少女」は、ベトナム戦争の惨禍を世界に伝え、反戦のうねりを生んだ有名なピュリツァー賞受賞写真だ。
 被写体の「少女」キム・フックさん(55)と、撮影した元AP通信のニック・ウトさん(67)に私が初めて会ったのは米ロサンゼルス支局長だった2012年。ウトさんも当時、APのロサンゼルス支局にいた。現地記者の集まりで彼と知り合ったことから、キム・フックさんと二人三脚での講演活動を取材した。
 やけどの痕が広がる背中や腕はずっと痛む。それでも彼女は恨みや怒りを乗り越え、戦争にかかわった人たちをゆるし、戦争の悲惨さを説いた。ベトナム生まれのウトさんは撮影するや彼女を病院へ運び、以来、支え続けた。そんな2人の記事を同年7月の本紙国際面に書いた。
 私には心残りがあった。彼女は自由を求めてカナダに亡命し、トロントに住んでいた。何があったのか知りたい。この夏、トロントへ飛んだ。

記事を読んだ人も多いでしょう。

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