fujinosekaic’s 世界史授業備忘録

世界史教員生活30年記念

日本語で何か

藤野の世界史の根底にあるもの。

https://www.facebook.com/100005124604845/posts/1421232324724241/

ヨーロッパ中心の世界史教育と世界史教員に欺瞞を感じるのは僕だけだろうか?
高校時代の米国への交換留学や、教員養成大学でのNZへの派遣などの影響もあってか、世界史教育で「教室と世界を結ばん」としてきた30余年。特にこの25年は毎年の様にイスラム世界にも足を運んでき事もあり、痛感したことがある。受験勉強だけでは感じなかった感覚である。

f:id:fujinosekaic:20200107235031j:image 

それは、どれだけイスラム世界の方が文化的に高度であったか、それを当時のヨーロッパ人の方がはっきりと認識していたし、それが多くの人々の行動に表れていた。それは皇帝フリードリヒ2世の行動や思考に顕著に表れていた。いや寧ろ彼以外の十字軍でも欧米(ブッシュ政権下の米軍を含む)による軍事侵攻は、この「優秀性」への危機感からの裏返しではないだろうか。文化的にも高度な部分や、生活のレベルでの高さ豊かさを痛感してきたヨーロッパ人の意識を、極東の我々も考えてみるべきではないだろうか。その良い例が「トルコ問題」ではないだろうか。欧米人の潜在意識の中にある恐怖と畏敬の念を教科書に記述するのは難しいだろうが、何処かで示すべきではないだろうか。教科書でできなければ授業でやればいいのではないだろうか。

クロワッサンを食べながらコーヒーを飲んでいると「トルコ行進曲」が聞こえてくるのは冷やし中華の食べ過ぎだろうか。個人的にはじゃじゃ麺よりラクサが好きです❗️

また、とかく歴史は過去の出来事の繰り返しに過ぎないだけに、できるだけ「今」との関係にこだわってみた。現代史はいつも時間切れになるか、受験の選択者だけに教えるってのは駄目では無いだろうか? 特に、終わらない宗教対立や民族紛争(まるで梅宮だが:アンナのパパでは無い方)と世界史の関係を把握してほしいと願うばかりである。

これらの事は普段の授業では進行の関係で取り扱いにくいのも事実であるからこそ、例えば俯瞰的で総合的な視点を模試に盛り込めないだろうか。勿論莫大な暗記量を持つ受験エリートにとっては至極簡単に解答出来る問題かもしれない。多くの上位層の受験者にとってはセンター試験のレベルでは低すぎて時間を持て余しているとも聞く。開始後の15分でほぼ終了という強者もいるという。どれだけ速読のトレーニングをしてきたのかとさえ思うほどだ。そのような彼等を相手にはどんなに問題を工夫しても対応の限界があるばかりか、絶対的多数の受験生の公正な学力測定が出来なくなる。もちろんこの部分に対応するべく教科書に記載されていない用語は解答から排除したり、難易度の高い問題は出題されない。いや、これまでのセンター試験はパターン化され、正誤問題や年代順序など出題形式と領域・時代区分は形式が出来ている。ある意味、自動車の運転試験場の学科テストと同じである。要は出題パターンを覚え、用語集と教科書を覚えればいいのである。これを幼少期からトレーニングしてきた受験エリートは難なくこなすだろう。イヤその為の授業をするのが「良い授業」であるという幻想が出来上がってしまった。東京都の指導教諭(主幹教諭と同ランク)には進学校の主任教諭でなければ出願資格がないという。勿論そんなことは明文化もされていない不文律なのだろう。現実の受験シフト対応への努力として否定はしない。しかしそれが理由にされて「実況中継」のコピー授業が氾濫し過ぎてはいないだろうか?

出題形式にはリード文の量や選択肢のパターン化も出来上がっている。もう10年以上前の国分寺高校時代にセンター試験の文字数と、歴史用語の数量化を分析してみた事がある。全体の文章を読む時間と一問にかけられる時間を考えてみたのだ。結論から言うと考えていては駄目だという事である。時間切れになってしまうのだ。受験生はブルースリーでは無いのだが、これに「燃える/萌える」のは一部の世界史オタクと歴女だけだろう。その意味でも歴史用語の精選には賛成なのだ。

各問題と大問間の相関関係に気がついた「知恵」のあるの生徒にも高得点の機会を与えることができないかと考えてみたい。僕だったらこの問題をこうすると生徒とアクティブラーニングである。このプロセスで大きな障害になったのがセンターの情報公開の方法がある。形式的には公開されているのだがそれがPDFであり指導の障害になるのだ。勿論視覚的に見にくいのもあるが、速報分析や解説授業には印刷するのが難しいのだ。不祥事の処罰では無いのだからテキストファイルで公開して欲しい。版権と二次使用の問題があるのかもしれないが、教育での使用に制約は無いはずだ。イヤむしろセンターには出題文とともにその出題意図と目的もはっきり明示して欲しい。少なくても公的にやっているのだから説明責任はないだろうか。勿論、某私学のように「ここには正答は無い」という選択肢や、学部間での問題の使い回しや誤答問題は無いかもしれないが、余りにもかけ離れた時代や地域の選択肢を出す事で難易度を下げているのも顰蹙ではないだろうか。結果的に平均点さへ整えば良いのだろうか。
この使えない入試問題を、ある時期からはppxに画像として読み込み、醜い切り貼りに してみた事もあるが、OCRが使えない都のシステムでは残念でならない。時間だけがかかるのだ。この感情を英語では kinky というが、他の道府県はどんな感じでしょうか。

この様に形式的にも、制度的にも邪魔されながら受験を考え指導してきたが、更に現任校も前任校もほぼ女子校化されている中での課題も存在する。特に、「英語で!」というバタ臭い意識と依然として続く欧米コンプレックス。浪人回避と推薦による早期合格決定思考がある。更に大学にもガラスの天井が存在する中で、少しでも「女子」が活躍していける状況に設定していくべきではないだろうか。とはいえ文系受験と言えば「英語力」がものを言うのに,結果的には男子の方が世界史では有利になっている印象も拭えない。日本史では「歴女」がいるのに,昔は「ベルサイユの何とか」ってのもいたけれども…世界史業界ではどうであろう。この辺りは世界史教員に男性が多い弊害だろうか。
更には海外の大学や留学までなどは話題にすべきでは無いのだろうか?想像してみるだけでも難しい問題だろうか?
これまで長く「海外」との関係を直接的に仕事としてきただけに残念でならない。海外からの生徒達と一緒に授業をしたり、意見の交換をしてみたが、同じ土俵に立てる生徒が余りにも少ないのだ。言葉の問題は差し引いても、もう少し何とかならないもんだろうか。でも、これを繰り返してきた事で生徒の中には積極的に参加する者や「楽しい」という生徒も増えてきた。まあ、その分指導する僕には余計な仕事といらぬ経験値だけは高くなっている。こんなのも悲しき歴史問題だろうか。

その意味でも女子生徒と進学の課題は存在する。また、それは少ないながらも存在する女性教員にも問題が無いだろうか? 少なくとも「女性」を意識して授業を展開してきた人はどれくらいいるだろうか? 男性教員と同じか、それ以上にアンチアファーマティブな仕事をしてきたのではないでしょうか?
安全水域を無難に航行していませんでした?? 氷山に進むタイタニック号を想像してしまう。

単に歴史用語を覚えるのではなく、文化を考えるべきでは無いだろうか? 例えば、イスラム世界とヨーロッパ社会の直接的な接触の舞台はイベリア半島である。潜在意識の中にピレネー山脈以南をヨーロッパとはしないと言うのもあるが、EUの公式見解ではないにしても、英国の離脱問題の根底はそこにあるというスペイン人の意見を現地の人から聞いている。スペインを巡る諸課題は慎重に考えるべきだろう。単に世界帝国だとか侵略者コンキスタドーレスとしての面も重要であるが、その文化の多様性、複層性にも配慮すべきである。少なくともスペイン語には多くのアラブ語が語源になっていたり、キリスト教文化と思い込んでいるものが、ジブラルタルの向こう側からであったりするのだ。
また、フランコ政権の残虐性は教科書には出せない問題であるが、その成立過程には次に示したい視点である「日本」との関係も存在するのである。少なくとも30余年以上前に日本人の存在を留学中のNZの大学図書館で想像して以来のものがある。人民戦線側で崩れゆく日本人の存在を考えたが、何年かのちにjack白井の存在が明らかになった。
で、歴史は何周か回って、更に捻じれ現象も起こして2019年である。

今年は「孫文」を意識して個人的には勉強させていただいたけれど、1919年の54運動100周年を記念してか、はたまた返還30周年「祈念」か、香港情勢と中国の存在が大きな問題である。個人的には「国際義勇軍」を組織したいぐらいであるが、中国製の催涙ガスジュネーブ条約上に問題は無いだろうか?って国内問題だから内政干渉でしょうか。少なくとも中国本土ではネット接続が世界とは違う基準になっている事や「異見表面権」には大きな制約がある事ぐらいは我々も考えるべきである。明日は我が身とも言えるだろう。この点は日本人一人々々の「我が闘争」である。ふと気がついた時では遅過ぎるのだ。gafaが使えないってどれだけ不便だか。中国本土に行けば良い。九州だったら東京来るより早く安く行けます。実感して欲しいのです。

で、「不東」では無く「不便」は不安になる。不当な規制は民主主義の理念に反します。で、できるだけ多くの問題に「日本」を絡めてみた。選択肢として直接的なものもあれば、文章の中に間接的に見え隠れするように散らしてみるのもありだろう。長安の地でどら焼きが食べたくなった留学生と同じように,香港で今のようなネット接続が出来なくなったらどうだろうか。

例えば香港の安宿で有名な重慶大厦。深夜特急の舞台でもある。沢木耕太郎に刺激を受けた世界史教員も少なくないでしょう。その重慶という街を爆撃したのが我が日本帝国陸海軍。まあ護衛機もつけずに良く行ったとも思うけれども、ゲルニカと同じ構造です。無差別絨毯爆撃です。更には東京大空襲に代表される米軍のB29。
その指揮官ルメイ将軍に勲章を贈った日本政府。原爆の絵はあるけれど、3/10は写真すら少ない。米軍の記録頼みで良いのだろうか。その意味での叙勲❓
人類は何処へ向かうのだろうか? イチローさんに聞いてみようか?

どうせなら模試にかこつけて、「詳説」よりも詳しい世界史をやりませんか?個人的には歴史用語の精選には同意しています。高知の人には悪いけれども、坂本龍馬には懐疑的です。海外のカリキュラムの研究もしてきた者としては「日本の世界史」は細かい事までやり過ぎなのにも危機感を持っています。いや、細かい事にとらわれて本来やるべき学
もう15年以上前になるのですが、国分寺高校時代に始めた、大問1で1時間の解説をしました。できるだけ詳しく、地理的な位置関係や自然関係,登場人物と事例の前後関係、その因果関係を示して解説します。更には予想展開問題や派生問題なども。多分世界史オタクならば楽しめることは確実です。時間との勝負の要素が濃い受験指導とその問題の演習には逆行していますが、これに論述までかければIB的なんです。このパターンは私学の問題を分析してみるにも面白いでしょうか。特に近現代や米国史などこだわってやると英語の知識も増えます。明治の様にその歴史用語を英語でなんていうってレベルでも英単語の知識は増えます。むしろ米国史ならば英語でやった方が良いくらいです。この辺りは英語の教員とコラボすると楽しいですが、付き合ってくれる教員を見つけるのは大変でしょうか。でも、受験の力
=特に私立文系は英語で決まります。傾斜配点の問題も含めて改めて受験指導始めましただろうか。で、来年はどうなったのでしょうか‼️