fujinosekaic’s 世界史授業備忘録

世界史教員生活30年記念

思えば、、、どこまで行くのやら? 琉球・台湾・半島から大陸へも

この条約は何?Treaty of Amity and Commerce Between the United States and the Empire of Japan in 安政5年6月19日1858年7月29日

まずはこの動画から 

導入動画USA | By 藤野 明彦

神奈川・長崎・箱館・新潟・兵庫の開港、江戸・大坂の開市(商取引)、自由貿易領事裁判権治外法権)、片務的関税協定(関税自主権の放棄)、開港場の外国人居留地の設定などを内容とした。

関税自主権がなく、領事裁判権を与え、最恵国待遇を認めるなどの不平等条約であった。

同年ほぼ同じ内容の条約を英・仏・蘭・露と結び、これらを合わせて安政五ヵ国条約という。

この結果、貿易が開始されることになったが、国内経済は混乱し、尊王攘夷運動が激化した。本物はこれねin Tokyo 外務省大臣官房総務課外交史料館@六本木undefined

JapaneseWhiteHouseReceptionBuchanan1860

undefinedPresident Buchanan welcoming the Japanese Embassy.   Illustrated London News

日米修好通商条約の批准書を交換するために、万延元年(1860年)に正使新見正興、副使村垣範正、監察小栗忠順を代表とする万延元年遣米使節がポーハタン号でアメリカに派遣され、その護衛の名目で木村喜毅を副使として咸臨丸も派遣された。咸臨丸には勝海舟が艦長格として乗船し、木村の従者として福澤諭吉も渡米した。しかし条約締結は日本に大きな政争を引き起こし、勅許の無いまま締結したことと同時期に問題となっていた将軍継嗣問題などが絡まり、直弼は派閥抗争鎮定のため反対派の幕臣や志士、朝廷の公家衆を大量に処罰(安政の大獄)、正睦や忠固、清直・忠震など条約関係者を排除した。結果、政局は不穏となり使節団のアメリカ訪問中に桜田門外の変が発生、直弼は暗殺され幕府の威信は低下した。USAの動画で見たでしょ!

https://tokyoeducation.sharepoint.com/sites/2023388/Shared%20Documents/General/Iphone%20%E5%BF%97%E5%A3%AB%EF%BC%91.mp4?csf=1&web=1&e=kbODTY

機構製品および一般実用製品において、日本人はたいした手技を示す。彼らが粗末な道具しか使ってなく、機械を使うことに疎いことを考慮すると、彼らの手作業の技能の熟達度は驚くほどである。

日本人の手職人は世界のどの国の手職人に劣らず熟達しており、国民の発明力が自由に発揮されるようになったら、最も進んだ工業国に日本が追いつく日はそう遠くないだろう。

他国民が物質的なもので発展させてきたその成果を学ぼうとする意欲が旺盛であり、そして、学んだものをすぐに自分なりに使いこなしてしまうから、国民が外国と交流することを禁止している政府の排他的政策が緩められれば、日本はすぐに最恵国同じレベルに到達するだろう。

文明化した国々がこれまでに積み上げてきたものを手に入れたならば、日本は将来きっと機構製品の覇権争いで強力な競争国の一つとなるだろう。

by who?(                            ) 誰のコメントだろう?