Rome was not built in a day. だから前編後編の2部に分けた。
で、大切なのは民主政治とパンとサーカス。政治から大衆の視線をそらすためにアリーナの白い砂をドロドロの赤い血で染めたのだよ。kill kill kill 殺せ殺せ殺せとはコロナの時代に叫べないけど、満員のコロシアムからの声が聞こえるようだ。さらに7月のカエサルという独裁者がめちゃくゃモテた禿(三大美女ともカエサリオンという息子を作るぐらい)だったこと。その女性の影響もあって我々の暦は365日+1/4の閏年の太陽暦。
続く後編は8月(カエサルの養子)からの帝政ローマ(MAX:領土とMAA)からのPAX Romanaは決して「平和」なわけではなく、どこかの間抜けな本の表記:「ローマの平和」は誤解を産むだけ。軍事的占領と支配が「くそ真面目なキリスト教」を広げることになったのは享楽と快楽に溺れた反省かも。でもそんな新興の信仰を大切にした人々は処刑されたし、それはローマ支配下の占領地パレスチナでもパリサイ人には邪魔な存在だったから礫刑だった訳だ。流石に「悲しみの道」の石の舗装で悟りを開いてみな!。
気が付くとゴルゴダの丘で座禅を組んでいた僕のJerusalem訪問記は別の機会に。
残念ながら「中国史」はあまり詳しくやっている時間はないが、日本の法律や諸制度はほぼ中華文明のCCだから想像しやすいので大丈夫かな。で、大切なのは東西交渉史。
だからガンダーラであり、大秦帝国のアントンの使者であり、長安からの旅の記録だ。さらに南ルートならジャンク船からのダウ船である。751年@タラス川河畔で鳴いていた唐軍の捕虜からもたらされた技術情報は聖書以上の意味があったのかもしれない。
こんなコロナ禍の時代の個人タブレットに相当する以上の意味が紙にはあったのかもしれない。紙が無ければコーランは携帯できないしね。石板=stone tabletでも持って行くか?お経だって竹簡だけだら白竜は可哀そうだよ。ナーランダで学んだ事は太宗もたいそうご機嫌だったしね。本来ならば16年前の密出国の件については厳罰なんだが、、、ここでも「国外逃亡」有利かな。