どうも巨大なロケット花火のようなものであった。弾頭は黒色火薬が1kgから10kg用いられており、初期には事故が多発していた。それでも3kmという当時としては長大な射程を持ち、イギリス軍はナポレオン戦争や米英戦争でこれを用いている。米英戦争におけるマクへンリー砦の戦いに題材を採っているアメリカ国歌には、「rocket」の語が登場する歌詞の一節があるが、これはコングリーヴ・ロケットのことを指している。
ここです!米英戦争1812年に行われた米英戦争の間、イギリス軍はブラーデンスバーグの戦いでロケットを投入した。これによりワシントンD.C.は炎上して降伏に至った。これがホワイトハウスの白色の理由ですが。手じかにあった白い塗料で補修・改修=リフォームしたのね!で、1814年のイギリス軍によるフォートマクヘンリーの砲撃ではコングリーヴ・ロケットが投入され、これはアメリカ合衆国国歌である星条旗の、初節第5行の歌詞の元となった。"And the rockets’ red glare, the bombs bursting in air".(ロケットは赤く輝き、爆弾は中空で爆ぜた)。イギリス海軍の火船であるHMSエレバスは、主甲板下に設けたロケット砲列から32ポンド(約14.5kg)ロケットを撃ち出した。これは艦の舷側にある砲門もしくは舷窓を通して射撃している。It was the use of ship-launched Congreve rockets by the British in the bombardment of Fort McHenry in the US in 1814 that inspired the fifth line of the first verse of the United States' National Anthem,
ここです、
この砦が受けた唯一の攻撃が米英戦争の時のボルティモアの戦いで艦隊によるものであった。1814年9月13日の夜明け時に始まったイギリス艦船による艦砲射撃は激しい雨の中を25時間続いた。アメリカ守備軍の大砲は18、24、および38ポンド砲であり、射程は1.5マイル (2.4 km)であった。イギリス艦隊の射程は2マイル (3.2 km)であり、コングリーヴ・ロケット弾は1.75マイル (2.8 km)だったが、あまり正確ではなかった。イギリスの艦船は海中に張られた鎖、沈船および砦の大砲によって、砦の横を通り過ぎることができず、港の中に入れなかった。しかし、イギリス艦船は砦に近づいてロケット弾や迫撃砲弾を撃ち込むことができた。イギリスの武器の精度の悪さとアメリカ軍の大砲の射程制限によって、どちらの側も損害はほとんどなかったが、イギリス軍は9月14日まで攻撃を止めなかった。イギリス海軍によるボルティモア侵攻は食い止められた。
で、以下にこんな記述を発見
Michael Edson (14 August 2015). Publishing, Editing, and Reception: Essays in Honor of Donald H. Reiman. University of Delaware Press. pp. 16–. ISBN 978-1-61149-579-9.
まあ、イギリス側の犠牲は士官2名と兵士7名で何千人の沿岸部住民(民間人)の犠牲だからね。
Opium Wars
Congreve rockets were used from the bombardment of the Canton ports, by Nemesis (1839) in January 1841[25], to their use at the Battle of Palikao, in September 1860.
フリー百科事典:ウィキペディアより
ということで船籍もイギリス東インド会社であることから、イギリス海軍の艦砲射撃ではなかった確率が高い。
本国イギリスに先駆けて、木造船を廃止し、全ての船を汽船に転換する事により、海軍組織の生き残りにかけ、それに成功した。汽船の活躍は、1839年のアデン占領、1840年からのアヘン戦争、1846年のニュージーランド遠征、1852年の第二次ビルマ戦争、1855年からのイギリス・ペルシャ戦争、1858年におけるインド大反乱と同時期に展開されたアロー戦争で確認する事ができる[34]。横井勝彦 『アジアの海の大英帝国』 講談社学術文庫、2004年、pp.211-223。ISBN 978-4-06-1596412。
ってことですね。ただまだ疑問なんだが、なぜに船籍が東インド会社なんだ?また、建造進水後の動きに疑問も残る。まあ少なくてもこのサイズの船で中国までは大変だよね。
で、こういう記録も発見!
Narrative of a voyage round the world : performed in Her Majesty's ship Sulphur, during the years 1836-1842, including details of the naval operations in China, from Dec. 1840, to Nov. 1841 ; published under the authority of the lords commissioners of the Admiralty