fujinosekaic’s 世界史授業備忘録

世界史教員生活30年記念

十字軍 crusade 狂ってるせいだ

本来の目的地はここです。①回 本隊は1097年から1098年にかけてシリア北部の大都市アンティオキアでのアンティオキア攻囲戦に勝利したが、主要な将軍の一人であるボエモンがここに留まって領主となる姿勢を見せ、ボエモン1世 (アンティオキア公)となった。残る本隊はレーモン・サン・ジルゴドフロワ・ド・ブイヨンらに率いられてなおも南下し、1099年、軍勢はついにエルサレムの征服に成功した。その後、ゴドフロワ・ド・ブイヨンがエルサレムの王となり、レーモンは海岸部のトリポリの伯となった。こうしてシリアからパレスチナにかけての地中海東岸にエルサレム王国エデッサ伯国トリポリ伯国アンティオキア公国という4つの十字軍国家がつくられた。

3回4回とイェージ生まれの神聖ローマ皇帝

F2のやるやる十字軍は「受験世界史」的には重要でんな。知らんけど。

更に相手側のサラディンクルド人Saladin サーディン sardineは鰯だからね。

③回 1187年アイユーブ朝ジハード(聖戦)を宣言。アイユーブ朝の始祖でありイスラムの英雄であるサラーフッディーンサラディン)は同年7月のヒッティーンの戦いで現地十字軍国家の主力部隊を壊滅させ、10月にはおよそ90年ぶりにエルサレムイスラム側に占領、奪還された。その後もサラディンの軍は快進撃を続け、同年中にはアンティオキアトリポリトルトザティルスの4市とクラック・デ・シュヴァリエなど若干の要塞を除く十字軍国家の全てがアイユーブ朝の手に落ちた。

この状況を受け、教皇グレゴリウス8世は聖地再奪還のための十字軍を呼びかけ、イングランド獅子心王リチャード1世フランス王フィリップ2世神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が参加した。これをオールスター十字軍って俺は呼んでいる!

更に、フリードリヒ1世は1190年キリキア川を渡ろうとしたところ落馬し、のために溺死した。(頑張れ水泳部!!)てか?

跡を継いだイングランドフランスの十字軍が1191年アッコンを奪還した。その後フィリップ2世は帰国し、リチャード1世サラーフッディーンと休戦協定を結んだことで聖地エルサレムの奪還は失敗に終わった(アッコンを確保したことでエルサレム巡礼の自由は保障された)。しかしエルサレム陥落とヒッティーンの戦いの後遺症は大きく、以後十字軍国家は守勢に回ることとなった。ってあるけど視点変えると以下に!

エルサレムを占領した第1回十字軍は捕虜を皆殺しにし、また第3回十字軍を指揮したリチャード1世も身代金の未払いを理由に同様の虐殺を行った。しかし、サラディンは敵の捕虜を身代金の有無に関わらず全員助けている 。彼は軍事の天才であるが、このような寛大な一面もあって、敵味方を問わずにその人格は愛され、現在まで英雄としてその名を残しているのである。

寧ろ、イギリス王とフランス王は仲が悪くて行軍中ケンカばかりしていた。とうとうフランス王は作戦途中で怒って帰ってしまった。最後はイギリス王だけでサラーフ=アッディーンと戦ったんですが、イェルサレムを奪うことができない。この時のサラーフ=アッディーンの態度は十字軍の残虐ぶりとは正反対で寛大。ヨーロッパ人からも賞賛される騎士ぶりだったことで有名。たとえば、サラーフ=アッディーンがキリスト教徒からイェルサレムを奪ったときのこと、キリスト教徒を一人も殺さず、男は金貨10枚、女は5枚、子供は1枚という身代金で身の安全を保障してやる。身代金が払えない貧しいキリスト教徒はどうしたか。なんと、サラーフ=アッディーンがかわりに払ってやったという。 そんなサラーフ=アッディーンですから、イギリス王が矛を収めてヨーロッパに帰国できるようにメンツを立ててやります。成果もないままではお前も引っ込みがつかないだろうと、キリスト教徒の聖地巡礼を認めるという「おみやげ」をあたえてイギリスに帰しました。これで修了。ちゃんちゃん!

④回 ローマ教皇インノケンティウス3世の呼びかけにより実施。エルサレムではなくイスラムの本拠地エジプト攻略を目ざす。しかし渡航費にも事欠くありさまで、十字軍の輸送を請け負ったヴェネツィアの意向を受けて輸送料の不足分支払のためハンガリーのザラ(現在のクロアチアザダル)を攻略、同じキリスト教カトリック)国を攻撃したことで教皇から破門される。ついで東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを征服、この際十字軍側によるコンスタンティノポリス市民の虐殺や掠奪が行われた。フランドル伯ボードゥアンが皇帝になりラテン帝国を建国。やむなく教皇は追認し、さらにエルサレムを目指し遠征するよう要請するが実施されなかった。東ローマ帝国はいったん断絶し、東ローマの皇族たちは旧東ローマ領の各地に亡命政権を樹立した東ローマ帝国は57年後の1261年に復活まあ、こんなのもあるから、、、見てみ。NHK高校講座 | 世界史 | 第14回 十字軍の時代