fujinosekaic’s 世界史授業備忘録

世界史教員生活30年記念

クルセイダーズ 2

十字軍-----イェルサレムユダヤ教キリスト教イスラム教の共通の聖地でした。ここは長い間イスラム教国の支配下にあったのですが、熱心なキリスト教徒はヨーロッパからも巡礼に出かけていた。ところが、セルジューク朝支配下に入ってからは巡礼が妨害されている、というのです。これも十字軍呼びかけの理由の一つでした。巡礼が本当に妨害されていたのかどうかはよくわからないのですが。 十字軍の十字というのはキリスト教のシンボルですね。十字軍の兵士たちは服に十字の印を縫いつけていたのでこう呼ばれたようです。英語ではクルセイダーズです。

とりあえず赤ペンで埋めてみる? 5イェルサレム王国6サラディン7第4回十字軍8コンスタンティノープル9ラテン帝国10宗教騎士団11インノケンティウス3世12.国王の活躍13東方貿易 むしろ文字情報を!読もうよ読もうよ!!

フリードリヒ2世、多民族が雑居しているシチリア島に育って疑問に思ったことがあった。人は本来何語を話すのだろうか、と。そこで、さっそく実験をした。生まれたばかりの何人もの赤ちゃんを、いっさいの言葉を話しかけずに育てたんです。 どうなったか。言葉をかけられずに育てられた赤ん坊はみんな死んでしまったんだって。残酷といえば残酷な実験ですが、不思議な、ちょっと考えてしまう結果ですね。 ともかく、思いついたら実験してみたいという、実証精神のある人だったという逸話です。そんな彼が「引率」したのが

第五回十字軍(1228~29)は神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世がおこないます。この皇帝は異色の人で、母親の出身の関係で、ドイツ皇帝でありながらシチリア生まれのシチリア育ち。宮廷もシチリア島にあった。シチリア島というのは、イスラム教徒のアラブ人によって支配された時期もあり、その後はノルマン人に征服され、いろいろな民族、文化、宗教が同居している島でした。フリードリヒ2世の宮廷には、そういういろいろな民族の者が仕えていた。ユダヤ人、アラブ人、イスラム教徒もいた。かれ自身アラビア語がペラペラだったそうです。ヨーロッパ文化とキリスト教が絶対だと信じているような単純な人ではなかったのね。国際的感覚を身につけていたコスモポリタンだった。だから、十字軍なんてアホくさいと思っていたみたいですが、政治的な立場から行かざるをえなくなった。そこで、軍隊を率いて現地まで行くのですが、一度もイスラム勢力と戦わず、外交交渉だけでイェルサレムを手に入れて帰ってきた。 ちょっと当時のヨーロッパ人の水準からかけ離れた人物ですね。