とりあえず文中の歴史語を句抜き出してみました。
「受験世界史」関係者の方!
この歴史語句375をみてどう思いますか?
これって出題されたものだけで、当然もっと学ぶものは多くなります。
でも、その語句をすべては授業ではやれないだろうし、
「あとは自分で学んでね」で済ますしかないのが
4単位+選択/演習(年内で終了)の授業数で出来るか?
って怒りにもにた感情なり。じゃ行ってみよう。長いよ。下記にスクロールされたし
オーストラリア
白人女性に
オセアニアの国
女性普通選挙権
帝国だ。
たの領土
国内の政治的結束が求められる状況
白人以外への差別の進展と並行していました。
1918年にはイギリス,
1919年にはドイツ,
1910年代の世界で最も大きな出来事
出征した男性
女性社会に進出
大戦末期の革命
ピョートル1世
プロイセンとの戦いで,
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン両公国を失った。
第一次世界大戦後に,
ピウスッキ(ピウスッキー)の独裁
協商国(連合国)側に立って参戦した。
フランス軍が,
ドイツ軍の進撃を阻んだ。
イギリスが,
インドから兵士を動員。
レーニン,
十四か条の平和原則
自治領
イギリスでも, 1918年
公民権運動
「中国史の中の女性」
顔之推(がんしすい)
6世紀後半
『顔氏家訓(がんしかくん)』
分裂時代
南方
婚姻
挨拶
北方の習慣
訴訟
平城に都
女性皇帝
匈奴の風習
貴族
六朝文化
隋による南北統一
唐を建てた一族が,
北朝の出身
唐
古い家柄の貴族
科挙官僚
隋の大運河完成
江南が華北に結び付けられ
北魏で都が洛陽へと移され,
漢化政策が実施された
世俗を超越した清談が流行した。
董仲舒,
儒学が官学
寇謙之が教団
仏教に対抗した。
『五経正義』が編纂(へんさん)された。
フランス王家
中世のヨーロッパ
クレシーの戦いの図版
敵対したイングランド軍
紋章
クレシーの戦い
フィリップ6世
アンリ3世
ルイ9世
ジャンヌーヌ =ダルプレ
( 1572年までナバラ女王)
(家系の断絶)
:婚姻関係
金の鎖の図柄
ナントの王令
宰相マザラン
フランス王家
イングランド王家
ナバラ王位を継承
サン=バルテルミの虐殺
ツヴィングリの指導
ヘンリ7世
国王至上法(首長法)を制定
イグナテイウス=ロヨラ
イエズス会を結成
ネッケルによる財政改革
カリフ
北アフリカで王朝を建てた時
アリーの子孫
ウマイヤ家
アッパース朝カリフ
シリア
エジプト
地方総督
中世のムスリム
イスラーム共同体
10世紀
7世紀初頭にメッカに住んでいたクライシュ族の子孫
ウマイヤ家
アリー家
アッパース家
トルコ系ルーム=セルジューク朝を建てた。
ムラーピト朝この半島における最後のイスラーム王朝
ワッハープ王国
ムハンマド=アリー
アプー=バクル
初代カリフ
アプデュルハミト2世
プワイフ朝の君主
アッパース朝(アッパース家)
カリフの正統性
カイロ
フランスの統治者であった人物の没後200年を記念
マクロン大統領
イタリア遠征,
アウステルリツツの戦闘,
軍人
戦略家
立法者
パリの凱旋門,
ヴァンドーム広場の円柱,
イエナ橋,
リヴォリ通り
フランス人として,その歴史の中にいるのですから.これを学ばねばなりません。
トウサン=ルヴ=ルチ=ールが指導するの独立運動
追放されていた地中海の島から脱出し,
フランスに帰還する様子が象徴的に描かれているとされます」
ライブツイヒでフランスに勝利した対仏同盟軍
パリにまで侵攻
彼を退位に追い込んで,その島に流した
その後にフランスを統治した国王は,反動的な政策
戦争に負けて捕虜
に流され,そこで没しました
アルジェリアを占領した。
恐怖政治を敷いた。
国外逃亡を図り,ヴァレンヌで捕らえられた。
王位に就いて,プルボン朝が復活した。
儒学の経典を学んで,何回も受験する
官立学校で儒学を教え,
学生は官吏の候補として養成
宋代
私立学校の書院
17世紀の顧炎武
人材登用制度
周代
朝鮮の知識人
金の支配下で,
仏教
臨安が都
四書
王守仁が,知行合ーの説を
宗教結社の太平道
黄巾の乱を起こした
和平派の秦檜ら
主戦派の岳飛ら
土木の変で,皇帝が捕らえられた
東林派の人々が,政府を批判した
地方長官の推薦による官吏任用
豪族が政界に進出
人材が9等級に分けて推薦され,
貴族の高官独占が抑制
周の封建制
書籍が,四つに分類,経部・史部・子部・集部
7世紀に編纂された『隋書』経籍志(けいせきし)という書籍目録
資料1『隋書』経籍志で史部に掲載されている書籍の一部
『史記』
『漢書』
『後漢書』
『三国志』
芸文志(げいもんし)という書籍目録
儒学の経典を主に収める分類である六芸略(りくげいりやく)の書籍を抜粋
『易経』
『春秋』
『太史公』
太史公は.人名
1世紀にはまだ四部分類がなかった
歴史書の数が増加した3世紀から 6世紀にかけてのことです。
『四書大全』一皇帝に権力を集中
漢人男性に辮髪を強制
『四庫全書』
『詩経』
『資治通鑑』
3世紀から6世紀にかけて,木版印刷の技術が普及
本紀と列伝を主体とする形式の書籍
宣教師の活動によって西洋の学術が中国に伝わり,
貨幣
東地中海沿岸地域
7世紀前半に.発行国の首都であるコンスタンティノープル
金貨
ソリドウス
皇帝とその共同統治者
中央に十字架,
周縁に皇帝の礼賛文が書かれています。
西アジア地域
ムアーウィアが開いた王朝
7世紀後半にシリア地域
アラビア語の銘文が刻まれ,
シリアとエジプトではギリシア語
イランとイラクではベルシア語
ゾロアスター教が国教
パルティアを征服した。
ローマ法の集大成
バグダードに都
ヴァンダル王国を滅ぼした皇帝
ヘラクレイデス
テルシッポス
エウクレス
「喜べ,私たちが勝利した」
長距離走者のフィリッピデス
『対比列伝』を著した人物で,資料2は別の文人によるものです。二人とも,五賢帝の時代を中心に活躍しました。
松 山:資料1
紀元前5世紀の歴史家
フィリッピデス
工フタルを滅ぼした。
プラタイアイの戦いで敗北
アテネで僭主となったペイシストラトスは,使者の話を知っていた可能性がある。
使者の話は,トウキディデス(トウキュディデス)の『歴史』に記されている。
プルタルコスは,使者の名前について異なる説を併記している。
使者についての資料2の記述は,ヘロドトスの『歴史』を正確に反映
プリテン島の修道士
731年頃
ゲルマンの三つの民
サクソン人,アングル人,そしてジュート人(ユート人)
カルケドン公会議を開いた皇帝。
プリテン島には,五つの言語がある。
アングル人の言語,
プリトン人(注2 )の言語,
スコット人(注3 )の言語,
ピクト人(注4 )の言語,
ラテン語である。
アイルランドやスコットランドに住み,ケルト語派の言語を話した人々を指す。
ローマの市場
異教徒「アングル人」と「エンジェル(天使)」
出身地とされる北西ドイツ
10世紀半ば,西サクソン人の王
10世紀末には「アングル人の土地」,すなわちイングランド
東方植民
ゲルマン人の大移動
クローヴィスの改宗
先住のノルマン人
聖職者(司祭)のジョン=ボール
「アダムが耕しイヴが紡いだとき,だれが貴族(領主)であったか」と説教し,
農民一揆を指導した。
コンスタンテイヌス帝
勢力を増したキリスト教徒を統治に取り込むために,統一法を発布した。
ポニフアテイウス8世の提唱
第1回十字軍に,ヨーロッパ各地の諸侯や騎士が参加した。
1929年の東南アジア
4つの植民地
主要な輸出先とその比率
マラヤ(マレー)には,海峡植民地が含まれています。
フィリピン
オランダ
イギリス
日本
フランス
中国
(『岩波講座東南アジア史6』より作成)
自由貿易政策
ゴムの需要
香港,
中国
東アジアの諸地域
インドシナの主要な輸出品は米
政治的に分割
この年にニューヨークで起こった株価暴落
シンガポールを獲得
19世紀後半に,自国の東インド会社の貿易独占権を廃止。
清との間に,公行の廃止を定めた北京議定書を結んだ。
オタワ会議(オタワ連邦会議)により,
スターリング=プロック(ポンド= プロック)を廃止した。
ドイツ
大量生産方式により,自動車の普及が進んだ。
アウトバーンの建設
コーヒー栽培
ゴムプランテーション(ゴム園)の労働者
移民が流入したマラヤ
フィリピンでは強制栽培制度による商品作物生産
世界初の産業革命
1600年から1801年にかけてのイングランドの人口統計
都市人口比率が上昇
土地が囲い込まれ(第2次囲い込み) ,
新農法が導入された
鉄道建設が進み,全国的に鉄道の輸送網が完成した
農業調整法(AAA)が制定され,農産物の生産量が調整された
1840年代中頃にアイルランドで大飢饉(ジャガイモ飢饉)が発生した後,
1850年代中頃にアイルランドがクロムウェルにより征服され,土地没収が強行
1875年のイギリスからの移民は, 1870年よりも減少している
④ 1890年代初めにアメリカ合衆国でフロンティアの消滅が宣言された後,
1895年のイギリスからの移民は
大西洋の三角貿易を通じて,
綿製品,
茶,
ア ヘンが取引
ダービーによって開発された,コークスを使用する製鉄法が利用された。
選挙権の拡大を目指して,
ラダイト運動(機械打ちこわし運動)が発生
1833年の工場法の制定
大気や水の汚染問題の改善
一部は文のママの方がよいと思うのはそのまま残しました。
あとは各領域の専門家の大先生たちが分析して欲しいわ。
これ出題する?って。