fujinosekaic’s 世界史授業備忘録

世界史教員生活30年記念

20 鎖に繋がれて 153×92 24Mは生き残り。20%はサメの餌

まずはFujino's世界史のプリント

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ヨーロッパ人は16世紀から19世紀までの400年間にわたって奴隷貿易を、国家的事業として組織的に何の罪悪感もなしに繰り広げた。奴隷貿易には、ヨーロッパ文明諸国のほとんどが手を染めていた。そして、ほとんどが熱心なキリスト教徒であった。このあと「びっくりなJohn」の話につながります。で、その前に拡大してみる=英文も読め!いや数字だけでよい。それなら誰でもわかるだろ!

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これはアメリカの高校の教科書:有名な英国船Brooks号の甲板の下。鰯の缶詰と呼ぶ。

さしずめ日本だと「すしづめ」でしょうか。通勤電車よりはましだけどね、三密だわ。

で、問題はどれだけの数字かを計算できるかということ。

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アメリカの黒人奴隷輸入は1619年にはじめて奴隷船でアフリカから連れてこられた20人に始まる。1776年の独立時には75万人、1865年の奴隷解放令の時点では400万人に増えた。アメリカ南部の白人たちは、初期のころは黒人奴隷たちが子供を増やすことを奨励した。労働力が不足していたため、奴隷人口を増やすことが奴隷所有者の利益になったからである。農園主が女奴隷に手を付けて奴隷を増やすことも行われた。アメリカ独立宣言の起草者ジェファーソンは、大奴隷主であり、奴隷増殖のために自ら奴隷との間に子供をつくり、その子供たちを自分の奴隷にしていった。現在のアメリカにいる黒人でアフリカの血だけを引いている黒人はほとんどいないという。板書にすると。

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大西洋の奴隷貿易は、16世紀にスペインによって始められた。西ヨーロッパの安物の綿製品、真鍮の腕輪などの金属製品・アクセサリ、ジンなどの酒類鉄砲そして現地では通貨だった子安貝などを積んだ船がアフリカ西海岸でそれらを奴隷と交換する。代わりに奴隷を積んだ船は西インド諸島アメリカ大陸へ渡り、そこで、積んできた奴隷との交易によって砂糖綿花タバコを手に入れ、それらの商品を積んで、西ヨーロッパの母港にもどるという形をとったため三角貿易と呼ばれた。17世紀にはスペイン・ポルトガルに代わって、イギリスとフランス西インド諸島に植民地を築き、18世紀からは、産業革命をいち早く迎えたイギリスが、海上覇権をオランダから奪い、イギリスの主導のもとで大西洋間の奴隷貿易は頂点を迎えた。アフリカ大陸から奴隷を狩り集めたイギリス、フランス、オランダの奴隷商人たちは、300年間に1500万人に上ると推計される黒人奴隷をアメリカ市場に売って巨利をむさぼった。この奴隷貿易は19世紀まで続いた。イギリスで奴隷貿易禁止令が出たのが1808年、イギリスでの奴隷制度の廃止は1830年代、アメリカ合衆国では1863年、ブラジルでは1888年であった。

彼らが拉致監禁誘拐され、ゲロゲロの海:大西洋(High Sea)を何か月もかけて揺られてきたわけ。152cm×92cm、足伸ばして寝れない

座高高いと頭はぶつかる。熱帯だから熱いぜ。この環境に耐えられるか? 船上ではハンストとかできないように強制的に餌付け(フォアグラ状態)で、死んだら船の後部から落とす=サメの餌

着いたら強制労働が待ってます

ピシッツて鞭打ちの音が聞こえる。

さらに問題なのは彼ら(社会の中心的な労働人口であり、持続可能な社会の為には貴重な人材)がいなくなったアフリカの社会だ。奴隷として使えない人間は残るということは? これがsub Saharan問題の根源でもある。ちなみに下記のイラスト

(少し前までY社の詳説に出てました。でも説明文の時代も場所も間違ってました)

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でこうなりました。イラストは切り替えらたけど、説明文はそのまま。プライド?

 

しかし、のちには奴隷人口が増え過ぎて南部の農場主にとって奴隷所有を続けることは経済的に引き合わない状況になっていった。リンカーンは、1863奴隷解放を宣言し、南北戦争1861年-1865年)終結後の1865年にアメリカの奴隷は解放された。しかし、アメリカの黒人は多くの点で差別されたままその後100年以上を経過したのだ。それが1963年のくそ熱い夏@WDC

MLK  --私には夢がある。いつの日か、この国は立ちあがり、「われわれは、自明の真理として、すべての人間が平等につくられ…」という独立宣言の中に示されたこの国の信条の真意に生き抜くときがくるであろう。私には夢がある。いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で、かつての奴隷の子どもたちと、かつての奴隷主の子どもたちとが、一緒に腰を下ろし、兄弟として同じテーブルにつくときがくるであろう。

で、そんなテーブルはもはや無いのか? とりあえず6/14@渋谷、代々木公園だべ

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ted!も見ていただきたく

https://www.facebook.com/203906229622591/posts/3393312044015311/?vh

更に、

https://www.cnn.co.jp/usa/35155134.html?fbclid=IwAR3FvPjVNkJFbrAFPLHXgvbwdfR4bZutjEnx_gB-Bh21fJi6BIr7dA7PhIY

「暴動は理由なく現れるのではない。私たちの社会には、暴動を非難するのと同じくらい激しく非難されなければならない、ある状況が存在し続けている。そして結局のところ、暴動とは声を聞いてもらえない者たちの言語なのだ」

マーティン・ルーサー・キング Jr.

ぼく自身、および世界の黒人コミュニティが感じている痛みについて「日本の人たちに説明してください」と頼まれると、ぼくはがっかりしてしまいます。人間は同じ痛みを感じるはずで、誰かに「これって痛いんだよ」と説明するのは、正直なところ、人間じゃない相手に説明しているような気分になります。個人的に言うと、「抗議デモや暴動、略奪をする理由がわからない」という人に会うと、ぼくはその人は嘘をついていて分からないフリをしているか、魂を去勢されてしまったのではないか、と思ってしまいます。

それどころか彼らは、知らないうちに死んでるのかもしれない、と。

更に、更新が終わらん!

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-53004323

英語だと。ニュアンスの差もあるから学習者はこちらを読むべし。

https://www.bbc.com/news/world-52963352

https://fujinosekaic.hatenablog.com/entry/2018/10/30/134716