fujinosekaic’s 世界史授業備忘録

世界史教員生活30年記念

別に英国に恨みはないけど、、、責任取れよなB 考査前の呟き

パレスチナガザ地区からイスラエル側にかつてない大規模な攻撃があり、多数の死傷者が出た。その結果としてイスラエル軍による「報復」とされるガザ地区への大規模空爆の結果、多数の死傷者ガザ地区=アラブ=イスラム世界にも出た。いや現在進行形だ。

 

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実はこの現在進行形のペリシテ人の末裔(不思議発見の聖地Ⓙとこでやったでしょ)たちの悲劇=ホロコーストは今回の「歴史総合」に大きく関連しているのだよ。

例えば、このパレスチナイスラエルの現場はオスマン帝国(トルコ)の領土内だったわけで、その聖地Ⓙを含む「中東」を支配していたP58の地図をよく見ておけって感じ。そこに出て行ったのがナポレオン=フランスなわけだわ。まあ、その流れがあってのスエズ運河ってのはわかりやすぎるだろ。更に言えばあのF.レッセプスの親族にはナポレオン3世がいたよね。そのおかげ(嫁)で建設資金が確保できたんだけど。

で実はF.レッセプスの何代か前のご先祖様A.レセップスはあの大黒屋さんを助けてくれた人なんだ。極東ロシアに探検に来てたらしい。で、その情報とかもあったからラスクマンやレザノフってのが日本に来れたのよね。だって当時自分からは海外には出れないでしょ。1825年)の異国船打払令とかモリソン号事件1837年とか。で、そんな幕府に異を唱えると高野長英渡辺崋山とか蛮社の獄大変だったじゃん。だから僕はライフワークとして海外逃亡絶賛応援中です。海援隊? いまなら空援隊? 空挺隊よりは国際援助隊:MSF Médecins Sans Frontières とかを応援したい。知らんけど。って関西人か。知人がMSFで活動してきた!けどね。

で、そのオスマン・トルコ帝国てのがバラバラになっていく中で各地で反乱とか政治的な混乱があってエジプトだとM.アリーとかが出てきたのよ。その息子の家庭教師していたのがF.レセップスだって動画にもでてきたでしょ。

日本でいえば「富国強兵」みたいな政策で「タンジマート」って教科書に出てることなんだけど、それ以前にこのオスマントルコ帝国ってのはロシアの南下政策やのちの露土戦争とかで大変だったんだけど、その混乱に乗じて乗り込んできたのがフランスだけでなく英やドイツとかなんだよね。

 てか、それまで「国」とは言えないようなドイツやイタリアが「国家」=統一になって中で、トルコ周辺の(バルカン半島やアフリカ)領土がヨーロッパに乗っ取られていく訳だ。もちろん様々な民族のいる地域だから事情は複雑。

まあこの辺もマリアンヌ=7月革命の絵(Cold Playのアルバムジャケットの絵:人生万歳)の先のページに出てくるでしょ。2月の2月革命からの第二共和制とか、それがウイーンとかにも拡大しての3月革命とか、「諸国民」に広がって「国民の声を聞かない=デモを弾圧する反自由主義の政治家は国外に逃亡するしかないとか、ってなるわけだわ。

で、国内をまとめる求心力として利用されたのが、エジプトやアフリカ、アジアの植民地支配や侵略だった訳だよね。だから教科書P53の地図見ればアジアならば日本とタイ王国(Shall we danceの王様=タイの東大とも言われる有名なチュラロンコン大学の名前にもなってる)だけだし(フィリピンなんて勝手に宗主国のスペインにアメリカが戦争吹っかけて略奪されてしまったからアーディは英語ができる訳で、アフリカだと、、、??てぐらいしか独立国家(それだってリベリアアメリカが輸入してきた黒人奴隷をアフリカに返すためにって勝手に作った国で、首都は第5代大統領:あのモンローに因んでモンロビアって言うのと、コーヒーの原産地の国;ドレッドヘアーのラスタファリズムのアビシニア高原の国。そうナイル川の源流。その意味でもすべてはナイルに始まっているのだわね。あ、不思議発見の番組もまもなく終わりだそうです:極秘情報?)は無いだろう。

更に、その地域の人々をもはや奴隷貿易はできない南北戦争後の時代なんで、新たな安価な「労働力」としてアジアの植民地の人々を酷使したわけだ。

苦力=華僑、そのインド版が印僑、イギリスの植民地には沢山「輸出」されたんだわ。だから1869年は大切なんだぜ。

もちろんイギリスとそれに続くヨーロッパ各国がいきなりそんなに「海外」に簡単に出ていけたわけではなくてね。国内で産業革命が進み、工業力=生産力が高まりその商品の輸出先=市場としての植民地ってのが必要でもあったわけだわ。原料も略奪に近い価格で輸入できるし。

イギリスが出ていけば、当然フランスも行く訳でそれが植民地獲得競争だし、時には仲良く山分けってわけだ。少なくてもロシアに取られたくはないよね。で、その結果としてこのオスマン トルコ帝国領だったところ:パレスチナも同じようになるのよ。

https://video.wixstatic.com/video/d3aa22_10917d6dd3c647629db7f8611e229bfa/480p/mp4/file.mp4 できたら昨日の僕の動画も見てね! 

まあこの8分ほどの僕の動画も見てくれて損はないよ。スルーするなよ!の再掲。

で、そのあとWW1、WW2といろいろあって1945年8/15=日本の敗戦以降はユダヤ教徒ユダヤ人たちも自分の国が欲しいてんで、そのころパレスチナ地方を統治していたイギリス政府に国家建設を求めてテロ活動を始めたのが今のイスラエルの人たち。だから、イスラエル政府がテロだって言うのはなんか変だと思うのよ。元祖テロリストはイスラエルだからってBBC:英国放送協会=国営放送は言うのよ。どこかの国営放送@渋谷区とは違うよね。

聖地Ⓙだけでなく地中海側のガザ地区はも含めて1948年には勝手にイスラエルが建国がされたわけ。この辺の歴史はyoutubeとかにあるから見ておくと受験的にはよいかな。今日はやめとけ。テスト勉強ならば教科書でよい。てかまずはそこだろう。読め。読め。読め。

で、第一次中東戦争(47-49年)によって不自然に切り取られてイスラエルパレスチナが形成されたわけ(国連分割決議に沿ってさえいないぜ)。地図も見るとへんな感じだよ。

・その狭隘なガザ地区Gaza Stripという直線的な領域にはイスラエル領に組み入れられた地域から追放されたパレスチナ難民=アラブ系住民=イスラム教徒が流入したので、密集したガザの住人の大半が「難民」なんだよ。
・1967年の第三次中東戦争によってガザ地区は(ヨルダン川西岸地区ゴラン高原も)イスラエルによって軍事占領され、現在にいたるまで陸海空軍を管理・支配している。
・1993年のオスロ合意に始まる「和平プロセス」の中で、名目的・欺瞞的な「自治」が与えられつつ、実際にはガザ地区の包囲と無力化が進められてきただけじゃなく、

・2000年から、この「和平」の欺瞞に不満を蓄積させたパレスチナ人が蜂起(第二次インティファーダ)したのよ。自治=従属に甘んじないで反抗した=石をみんなで戦車に投げたり=ゴリアテと戦ったダビデが使った投石紐がここでも活躍する皮肉。マリアンヌに続けって感じだわね。パレスチナガザ地区も含む)の若者や子供達にイスラエル軍は戦車とか使って懲罰的に徹底弾圧した。ミサイル攻撃も。

・2005年にイスラエルガザ地区を外側から徹底的に封鎖。 高さ10mの壁を建設。
・2006年の総選挙で、和平プロセスに絶望したパレスチナ人はハマス政権を誕生(西岸地区でも)させる。彼らは頭の良いインテリ集団なんだ。

ファタハPLO(=アラファト議長って知らないかな?)を通じて都合よくパレスチナを手なづけておきたいイスラエルと国際社会は、ファタハに武器を支援してハマスと内戦を起こさせ、ハマスを西岸地区からガザ地区に追放し封じ込めたわけね。

ハマスガザ地区に隔離した2007年からイスラエルガザ地区攻撃は日常化・激化し、2009年や2014年にはそれぞれひと月ほどの軍事作戦で1400人、2000人というパレスチナ人が殺害されるなど、07年から現在まででガザ地区の死者は5000人を超えた。だから今回のイスラエル側の犠牲者なんて比較にならないぐらい少ない。でも、テロはイケないんですけど。
イスラエルによるガザ地区ハマス攻撃は、ヨルダン川西岸地区でも深刻な収奪と暴力が効率化・日常化してきたことも忘れてはならないのよ。

これに罪悪感を感じた英国のアーティストがバンクシーなんだ。

責任者はロンドン・パリ・NYC辺りにいるのだろう。

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こんなブログ記事も読んどいてくれると学びになると思ふ、、

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