fujinosekaic’s 世界史授業備忘録

世界史教員生活30年記念

#20-1234 All Lives Matter Amazing

こんなコロナの時代の、、、BLMの根本にはびっくりな歴史がある。

まずはこの曲から

Amazing grace!(how sweet the sound)
That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see.

下記はユネスコの教材から作成したもの。

youtu.be

https://youtu.be/5zXinyERRA8

youtu.be

以下の動画UPするためにどれだけの時間を使ったか。日本語版がないのです。

でも週末頑張ってやりました。通常ならば教室で解説、翻訳しながらできるけどそれもこんなコロナの時代にはできない。でもBLsMatter だし、それはJLMだから頑張った!

youtu.be

あと当時の雰囲気はこの映画で確認できると思う。

時代を超えて愛され続ける名曲「アメイジング・グレイス」の誕生秘話と、この曲に支えられて戦った政治家ウィリアム・ウィルバーフォース(某社の教科書にも出るようになった)の生涯を描く伝記映画。18世紀イギリスで、裕福な家庭に生まれ育った青年ウィリアムは、貴族階級の大きな収入源となっていた奴隷貿易制度に疑問を抱いていた。21歳の若さで議員となったウィリアムは、数少ない同志や愛する妻、そして師であるジョン・ニュートンが作詞した「アメイジング・グレイス」を支えとして、数々の困難を乗り越えながら貿易制度撤廃を目指す。
2006年製作/118分/G/イギリス
原題:Amazing Grace
配給:プレシディオ

It is referenced in the 2006 film Amazing Grace, which highlights Newton's influence on the leading British abolitionist William Wilberforce,[86

作詞者のジョン・ニュートン奴隷貿易で富を得ていた。この矛盾は何?

以下もwikiより。(内は僕のつぶやき)作詞者はジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807)。作曲者は不詳。アイルランドスコットランド民謡を掛け合わせて作られたとしたり、19世紀に南部アメリカで作られたとするなど、諸説がある。(諸説あるけれど、上記の動画見れば良いよね)

ジョン・ニュートン1725年イギリスに生まれた。母親は幼いニュートン聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ニュートンが7歳の時に亡くなった。成長したニュートンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになった。

当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症脱水症状栄養失調などの原因で死亡したといわれる。

どれぐらいの犠牲率だったかプリント参照)

ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に9転機は訪れた。イングランドへ蜜蠟を輸送中

(どこから?地図で確認してください):現在のシエラレオネスペイン語Sierra León=獅子の山」、イギリス連邦加盟国である。北にギニア、南東にリベリアと国境を接し大西洋に面する。首都はフリータウン:1807年イギリス議会奴隷貿易を違法とする法律を可決すると、イギリスの直轄植民地にされるとともに、奴隷貿易を取り締まる艦隊の基地となった[5]奴隷制から解放された黒人たちの移住地として1808年イギリスの植民地となり、1961年に独立した。約10年以上続いた内戦HIVによる影響で、現在でも世界で3番目に平均寿命が短い国(2016年度で53.1歳(男性:52.5歳、女性:53.8歳)WHO報告[2]辺りらしい。 。)、

嵐に遭い@off the coast of County Donegal, Ireland,浸水、転覆の危険に陥った。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという

(結構若いときは「やんちゃ」で手に負えない奴だったらしい)すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのである。ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになった。また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなったが、その後の6年間he continued slave trading until 1754 or 1755も依然として奴隷貿易に従事し続けた。のちに、真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だったと彼は語っている

(更に言えば当時の英国社会の経済構造:利益優先や心理的背景も重要ね)1755年、ニュートンは病気(stroke:卒中=血液が詰まる:体にマヒが残る場合もある)を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。

そして1772年、「アメイジング・グレイス」が作詞された。歌詞中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている。 (彼もまた、拉致してきた黒人に対して当然のように酷い扱いを行っていたそうです。さらに言えば、彼の船では運動をさせたり、適度の日光浴などを実施して生存率が高かったと自慢している

様々なとらえ方があるが、「過去の過ちが赦され、天国へ導かれる」という歌詞に込められた背景から、クリスチャンは『AMAZING GRACE』を聞くとお葬式を思い浮かべるのかもしれない。いやむしろ動画にあるように、「苦しみ」の代名詞のような曲なのである。

詳説ではない世界史Bにも出てくるウィルバーフォースは1789年5月12日、奴隷廃止を議題とする自身の最初の主要演説を庶民院で行った。その中で、彼は、奴隷貿易は道徳的に非難されるべきであり、自然な正義の問題であると理由付けた。クラークソンの証拠を引用しつつ、彼は西アフリカから渡ってくる奴隷達の中間航路における驚くばかりの状況の詳細を述べ、奴隷貿易の廃止により、西インド諸島に既にいる奴隷達の状況の改善も行うことを主張した。彼は廃止に関する12の提案を提起した。これらは主に、多数印刷され広く出回っていたクラークソンの「アフリカ奴隷貿易の不得策に関する小論」に基づいたものであった。

1790年1月には、彼は議会の審査委員会から奴隷貿易につき審議し、彼が提出した膨大な量の証拠を審査する許可を得ることに成功した。

1791年4月、ウィルバーフォースは、奴隷貿易廃止のための最初の議案を提出した。この議案は88対163の票決によりあっさりと否決された。ウィルバーフォースは奴隷貿易に関する問題を議会に提示し続けるとともに、クラークソンは視察し筆をとることを続けた。彼らの間では、クラークソンとウィルバーフォースは、かつてはなかったように世論を結集する国民的運動を発生させ維持することが彼らの責務となっていた。

これは長く続く議会での運動の始まりであった。その間、ウィルバーフォースは各議会の会期ごとに廃止を指示する動議を提案し続けた。あらゆる利用できる機会を捉えて下院議員の前に奴隷貿易の問題を持ち出し、1792年4月と1793年2月には廃止法案をさらに提出した。しかし、議会は法案の成立を拒んだ。

詳しくはwikiでも読んでください。勉強になるよ!