古代にはこの地は肥沃な三日月地帯であり、カナンの地と呼ばれ、カナン人をはじめさまざまな民族が住んでいた。ユダヤ人の祖先となるヘブライ人も移住してきたが、子孫たちはエジプトに移住しエジプト人の奴隷となっていった。長い期間を経てエジプトを脱出したヘブライ人(イスラエル人)はこの地を征服し、紀元前11世紀ごろイスラエル王国が成立した[11]。しかし紀元前930年ごろ、内乱のためイスラエル王国は南北に分裂した。北のイスラエル王国は紀元前722年にアッシリアに滅ぼされ、南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされた[12][13]。新バビロニアもペルシア帝国に滅ぼされ、その後パレスチナの地はアレクサンダー大王の東方遠征により征服される。アレクサンダー大王の死後、マケドニアは分裂し、パレスチナはセレウコス朝(シリア王国)の支配下に入るが、マカバイ戦争を経てユダヤ人の王朝であるハスモン朝が成立する[14]。紀元前1世紀にハスモン朝はローマ帝国の保護国となり、のちにローマ帝国の属州ユダヤ属州となる[15]。66年には独立を目指し、ユダヤ戦争(第1次ユダヤ戦争)が勃発するが、70年にローマ帝国により鎮圧された[16]。132年にバル・コクバに率いられたバル・コクバの乱(第2次ユダヤ戦争)が起き、一時はユダヤ人による支配権を取り戻したが、135年に再びローマ帝国に鎮圧され、名称もシリア・パレスティナ属州に変わった[17][18][19]。離散ユダヤ人(ディアスポラ)は早い時期から存在したが、この時に数多くのユダヤ人がディアスポラとなっていった[20]。
古代メソポタミアにはジッグラトと呼ばれる階段状のピラミッド形神殿があり、カルデア、バビロニア、アッシリア、ウルなどで30か所の遺跡が発見されています。
これらは干しれんがとアスファルトで造られており、このうち、バビロニアにあったジッグラトがバベルの塔であっただろうと言われています。