今日の授業はまずはこれから=あまり難しいことから入ると生徒にも負担&喉にも負担
Y社の詳説にも掲載されている。でも小さくてあれじゃ意味ねーよ。無いより良いが。
で読み取れること&感想を記入させて、共有し、発表させる。で、そこにコメントしてくだけから始まって、本文も参考にする。でも、タブレットもあるんで生徒自身でも検索できるし。坤輿万国全図(東北大学附属図書館狩野文庫の写本)
Y社の説明だと:1602年に北京で刊行され、鎖国時の日本にも輸入されたり、仙台藩(伊達藩=末裔は誰?の写本という事である。宮城県図書館及び京都大学図書館に数部が保管されておりってwikiにもあるけど、魯迅はこの地図を見たのかなあ?
さて、イタリア出身の宣教師マテオ・リッチが作成ってことから、彼にも言及。誰?ってことで、タブレットを敲く:マテオ・リッチ(イタリア語: Matteo Ricci、 1552年10月6日 - 1610年5月11日)は、イタリア人イエズス会員・カトリック教会の司祭。中国名は利瑪竇(拼音: Lì Mǎdòu り まとう)。フランシスコ・ザビエルの夢見た中国宣教に苦労のすえ成功し、明朝宮廷において活躍した。ってことは教科書の本文にある。ほぼ同じだ!ってのに気が付く生徒。
更に、イタリアのマチェラータ(当時はローマ教皇領に属した&息子が高校時代留学してた所の近くじゃん=ローマが弁慶の泣き所だとすると反対側のこむら返りする所)出身のリッチは、イエズス会に入会後インドでの宣教を志して1578年にゴアに派遣された。その後、マカオに滞在していた東インド管区巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの招きに応じて1582年に同地へ赴き、すでに同任務のため研究を始めていたミケーレ・ルッジェーリとともにマカオで中国語と中国文化の研究を行った。ってwikiにもあるけど、イエズス会と教皇領の確認:なんだこの夏2024にレンタカーで彷徨ってたとこじゃん。親近感沸くぜ。
そこで上記の太字を確認。特にこの受験の時期なんで某大学にも言及。合格せよ!
Monochrome version of the IHS emblem of the Jesuits. The design of the emblem is attributed to Ignatius of Loyola (1541). the cross is here drawn as formy fitchy; this is not necessarily part of the design, early modern depictions sometimes show a plain cross, or various baroque ornamentations the three nails are sometimes shown as piercing a heart the alternating straight and wavy rays are found in historical specimens, but not necessarily, and sometimes with two or three straight rays separating wavy rays. the number of rays is often 32 as here, but sometimes also 12, 16 or 24. the emblem is sometimes surrounded by the inscription et vocatum est nomen eius Iesus (Luke 2:21)
千代田区紀尾井町 四谷駅前にキャンパスがある。徳川御三家の尾張徳川家の中屋敷&迎賓館の対面。ホテルニューオータニ:007 You Only Live Twiceブロフェルドの日本の本拠「大里化学」の本社ビルとして登場の横。丸の内線からも見えるよ!他にも、栄光学園中学高等学校@鎌倉市玉縄とかもあるよ。サッカー部も全国に行ったし、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(歴史研究部の生徒たちに行った講義をまとめた書籍by加藤 陽子東京大学教授=2020年に、日本学術会議の新会員候補に推薦されたが、内閣総理大臣菅義偉によって任命を拒否された、、、山川出版社の教科書『詳説日本史』の執筆で。。。
まあ、日本史側の論争に巻き込まれるの困るので、catholic Church天主公教会バチカンは総本山 カトリック教会の概略も確認 VS Martin Luther in 1517 ダメだって。プロテスタント抵抗する人達 & Hな変態8世in England 聖公会: Anglican Church, イングランド国教会(Church of England)だし、『チ。-地球の運動について-』 15世紀前半のヨーロッパの「P王国」では、「C教」という宗教が中心となっていた。地動説は、その教義に反く考え方であり、研究するだけでも拷問を受けたり、火あぶりに処せられたりしていた時代の話ね。知ってます? 地球と地と血かな?
1633年:地動説を唱えたガリレオ・ガリレイは第2回の裁判で有罪だしね。
宗教改革後にヨーロッパで生まれたプロテスタント教会を「新教」、それ以前から存在するカトリック教会を「旧教」と呼ぶが、カトリック教会の側が「旧教」を自称したことはないんだけど。大乗と小乗みたいなんですね。大丈夫か?
中国にヨーロッパの最新技術を伝えるとともに、ヨーロッパに中国文化を紹介し、東西文化の歌け橋となった。した漢訳版世界地図であり、地球球体説を基にして六枚一組にして、卵型の図形の中心に中国を描きってあることから何が読み取れるか? 拡大してみると文章:漢文もあるけれど、勤務校で肝心なのは文章じゃないからね。
Matteo Ricci and Paul Xu Guangqi 徐 光啓 From Athanasius Kircher, La Chine … Illustrée, Amsterdam, 1670.日本に大きな影響を与えた農書『農政全書』や、イエズス会士アダム・シャール(湯若望)の協力によって刊行した暦法書『崇禎暦書』
上海青浦の出身。博学多才であり、学問に専心し1597年の郷試に首席で合格する。1599年にマテオ・リッチ(利瑪竇)の名を聞いて南京に行って教えを受け、1603年にジョアン・ダ・ロシャ(羅如望)の手で洗礼を受け、キリスト教徒となる。その後、進士に及第し、翰林院庶吉士となり、リッチとの交際が深まるとともに、いわゆる洋学の知識も広くなった。
ここで生徒らがすごい事に気が付いた。教科書版では小さくてわからんのだが、中央部の上の方にある部分。僕なんかカエルみたいに見えたのだけど、さすが本校の芸術・イラストの系の生徒達。ちゃんと読み取ってんだわ。マリアとイエスじゃないかって。サッカー部付属高校だけじゃないんですよ。
で、これを検証するって僕が調べ始めたら面白くて、このブログになってます。
僕が探究活動してます。更に、このイラストをデジタル的に修正する作業もした奴があってこれだけ解像度の高いイラストが見えますよ。
Terra Australis Incognita(テラ・アウストラリス・インコグニタ、「南方にある未知の大地」という意味)と表されていた。
1606年に当大陸に最初に到来したヨーロッパ人はオランダ東インド会社のウィレム・ヤンスゾーン。赤道に近い熱帯の北部地域に上陸し地図を作成したが、交易に値する物品はないと判断し、入植しなかった。
1770年にスコットランド人のジェームズ・クックが温帯のシドニーのボタニー湾に上陸して領有を宣言。入植が始まり、東海岸をニュー・サウス・ウェールズと名付けた。なお、決定的証拠はないが、1770年に上陸したジェームズ・クックよりも150年も前に山田長政が先にオーストラリア大陸を発見していたという説がある(とわ言え出典が産経抄だからね、、、だめそれはじゃん=夢のある話は他にもあるけどね)
それ以外はほぼ今の世界地図と同じだし、東経・西経の子午線や赤道、更に川!実はこの時代の川は高速道路であり鉄道と同じ意味があるんだって説明。のちにこれがコンゴ川やナイル川とファショダ事件と関連するんだよって話。
まずはサンタアナの風が猛威を振るった火事現場を特定してみん?
リオデジャネイロRio de Janeiroも探せる? 1502年1月にポルトガル人探検家ガスパール・デ・レモスたちがグアナバラ湾の湾口であるこの地に到達。グアナバラ湾は湾口が狭まっているため大きな川であると誤認し、発見した月に因みポルトガル語で「一月の川」英語だとRiver of Januaryと命名したけど、これって間違えちゃったて訳だわ。
駄目だよ!間違っちゃ。神も俺も見てるぜ!
でもちゃんとマゼラン海峡はわかるよね。偉い! 多分周辺部分含めいろいろ漢文で描かれているんだろうけどそこまでは読めない。
でも、文字情報テキストファイルは読めなくても良いと思います。豪州が無いってのが分かればよしとします。ちゃんとバリ島も出てるし。サイゴンはどうかな?
カンボジアはあるね。占城あんじゃん。