fujinosekaic’s 世界史授業備忘録

世界史教員生活30年記念

気づきと学びの対話(10月19日19時〜)

久しぶりに参加してみた。アイフォンからだったので今月分のギガを使い切ってしまったけど(泣き)気になったことのメモ=備忘録です。

 20年前の国分寺高校時代から(実はその前の第五商業時代も研究員だった)いわゆる「総合的な学習の時間」に関与してきた経験から「探求学習」の意味は痛感してきた。で、その結果として「大化けした生徒」や進路にも大きな影響があったのも事実です。

端的に言ってやる意味は多きかな。いややれる人はもっと積極的にやるべきだと思う。

で、基本的には僕の毎回の世界史の授業自体が一つの「探求学習」的なスタンスでやってきたんですが、これをSTEAM的に生徒自身がまとめられるぐらいになれば結構なものができるのは確信している。まあ、各回の授業で何本も修士論文ぐらいは書けるレベルだろうってスタンスで臨んでるけど(単なる暗記ベースの【穴埋め】は駄目だろ、、今更)、以下にコロナ禍を逆手にとって勝手なまとめをしてみました。

探求学習=普段の授業も進めるうえでの考えるべき事を考えてみた。

①学校で(教室で)しかできない事

②学校で(教室で)無くてもできる事

③学校ではできない事 or やらないほうがいい事 

基本的に40人相手の一斉授業が基本っていう日本の後進性がある中で、何ができるか?って事です。当然の帰結として、教え込みのコンテンツベースになるし、板書してノートして覚えてテストって悪循環。というかこのパターンの授業しか知らない教員とそれを養成してきた大学。更にそのパターンを養成してきた教員研修と教育委員会の要請・要求と勤評。いろんなトコに罪はあるんだけど(最悪は入試問題)、今学校ですぐにもできることを考えると、②と③を真剣に考えるべきかと思う。

例えば(長く単位制に勤務していることも影響してますが)英語ならば英検や外部テストで十分です。単位認定してくれれば良い、商業なら簿記検定で授業やらんでもよくない?って事。さらに履修と習得も矛盾もあるけど、3年間も学校の教室に縛らんでもよくないかって事。それができれば③を真剣に考えるようになるはず。ある意味壮大な時間つぶしの3年間じゃないでしょうか。その「無駄な時間」を探求的な活動に充てられればと思います。

で、その探求的な活動ですがそれを指導できる教員が少ないってのが国際高校時代から「課題研究」を長年担当してきて痛感している事案が沢山あります。

教科の内容や教科書に書いてあることを教えるのは「得意」なのかもしれないが、ゼミ的な指導ができない、(大学時代の卒論レベル以下でも良いからって言っても卒論書いてない?ってのもあったり)、生徒のニーズを把握できない、適切なアドバイスができない(本読めって程度?)、調査や分析の方法を指導できない。

などなどや、適材適所の人的な把握も難しい。

また、生徒自身のテーマ「問い」の設定もいいかげんな奴も少なくないが、「何でもいいから」っていう学校側の指導もどうかなと思う。ある程度「意識高い系」や目的意識高い系=進路に活用してやろうっていう猛禽類の生徒以外の多くは何をやっていいか路頭に迷うわけです。

その生徒と担当教員を科長だった僕がマッチングさせるのは至難の業。更に国際高校だと英語での論文推奨なんてするけど担当の英語教員が生徒からのイジメで退職とかあると、、、、英語科内で分担できない分は僕が被りました。

2・3年合同の事例発表会もやって生徒の動機付けと教員の意識付けにも、、、でも会場の講堂が狭いので必然的に「白熱教室」になってしまった。

で、スギソウでの事例ですが担当してた学校設定科目(国際ボランティア)を活用して、そこでの活動を課題研究に応用させたケースが多数あります。法政大学とかでGIFTさんがやってる研修の2週間以上バージョンです。その流れを利用して文科のトビタテ留学にも沢山受け入れてもらえたり、アントレ企画に参加したり、ISIFからのサポートもらったり、文科大臣賞の作文やいろんな企画にも参加させてもらえたという「実利」もありました。

全員がうまくいったわけではないけれど、本来ならば大学進学なんて考えてもいなかった生徒が進学したり、同じレベルの総合学科からだと行けないような大学にも進学したりという「オマケ」もありました。伊藤さんのAPUにもお世話になってます。上水からも今年一人送りました。いい大学だって報告にも来てくれました。

さらにこれらに味をしめた僕自身が感じた「楽しさ」と、生徒の「実益」を把握したことで、現任校でも何かできないかとあがいてきました。教務上は何も時間枠としての配慮もあるわけなく、担当にもなっていない中で、教科担当の生徒や全校生徒に相手に勝手に生徒募集してきました。そんな中でも外部企画に応募することで「探求学習」の実践を仕向けてきました。結果として全国区レベルの成果を多数出したことで、多摩の山猿(生徒部主幹の弁)でも論文、スピーチ、プレゼンなどに多摩地域のネタ(森や水や志村)を活用しながら活動させてきました。

まさにこれなど②の部分ですが、そのためには時間的配慮は無いために昼休みや放課後など生徒の事情に合わせて指導することになり、昼の食事ができないことでダイエットにもなりました。ただ問題なのは参加者をどう集めるかという課題があります。どうやって声をかけるか、参加者を募るかというのが大きな課題です。様々な機会を利用して1年2年に声をかけても「クラブで忙しい」って断られることが少なくありません。かといって個人の信条として「クラブ」としての活動にはしたくないという思いもあります。KDTには長年困らせられてきた教員人生です。いや、寧ろ人が嫌がるダンス部顧問とか長くやってしまったけど、クラブならば全国組織とかもあって運営もがっちりできているというメリットもあるでしょうが、それに頼りたくはないのです。

もちろん関与した生徒にはこちらの持ち出しで「やりがい搾取」ですが、全国に名だたる意識高い系の学校と名前を並べることができただけでも満足万蔵です。

さらに、「勝手に高大連携」として進学(指定校や公募)が早めに決定した3年生にも声をかけてきました。これはけっこう有利です。他が一般受験の勉強やってるときにsteam的な活動を3年生とやるのは1・2年生よりも問題意識も高くなります。まさに造反有理です。更に、こういった意識のある生徒やそれを指導できる教員がどこにもいるわけではないこともあります。これが③です。寧ろ、地域や学区に1校でもあればそこが合同組織の中心的な役割=拠点校にすればもっと活動できないかとも思っています。その意味ではこのブログサイトと別の個人ブログ(動画配信とか踏んでみてください)https://video.wixstatic.com/video/d3aa22_30144faf71c847d4891344ef5b8a8824/1080p/mp4/file.mp4

も「世界史」のグローバル化にならないかとやってるように、誰でも参加できるような活動にすれば③としていけるかと思うのです。特に、ボランティアや国際企画で外部の団体組織Niceや海外NGOとも関連してきた事もあり、最近ではタイモブとかveryとか若手の連中が都立高校から外注を受けて頑張ってたりするのを見てくると、「高校教員ではできないことは外部に任せる」てのもありかと思います。もちろん学校側からの情報交換は密にして。

定年直前になってきたこともあって「クラブ顧問」の圧力は減ったとは言え、都教委の勤評と異動の条件に「クラブ顧問」指導が入っている現実の中では、教科以外で教員ができない事を更に力ずくで教員にやらせるのは無理だと思うのです。

この辺り時間がかかりすぎて変化に追いつけてないのが現状でしょう。

このブログの前の方にも僕がここのところやってきた活動の紹介もありますが、そんな事を管理職は知ることはないだろうし、知ってもらってもねーってもんですわ。

別段「やってる感」出すためにやってる訳(結構そう言うしがらみで補習とかやってる人も少なくないですが)でもなく、個人的な持ち出しでも「やりがい搾取」でも最早それでもいいわと思っています。要は生徒に多様な選択肢と可能性があるって事が分かってもらえれば、そしてそれが幾ばくかでもこの国の発展(現状維持or 衰退回避)になればと思う限りです。

残された教員現役人生は限られていることもあり、教室と外部、日本と日本以外(海外)、を結ぶ「鳥もち」ぐらいにはなれればとの思いです。

とりあえずは自分の子供たちでやってきました。「普通の純ジャパ」ですが国外逃亡への実験材料として活用してきました。まあ、奴らも今後どうなるかはわかりませんが、、とりあえず子育てに振り回されることはなくなった中で暗中模索は継続中です。