この時期の公立教員の運命である異動転勤問題。情報錯綜中。で、.こんな頃も3年以上前
を見ながら、いろいろ思うところがあるので今日はちょっと書きます。長くて失礼。
でも、できるだけわかる日本語で書いたよ。じゃないと敬愛する白川寧々ちゃんに𠮟られるし。でも、行間にもいろいろ込められていることはお察しください。校長の
パワハラとか、教職員の休職や退職が
大杉栄とか、生徒の4とか。でも早3年経過したので異動規定に則って!
① 空白の上水の3年間?から得たもの、rather 30+++年か?もだけど、、それは
だってこと。でも、結局この辺りの事はその学校の伝統や校長の意識に大きく左右される。
だって耳を疑ったのが3年前。都教委には「国際理解教育」やってますとか、学校案内には「やってる感満載」で書いてあったけどすべてFAKE。偽造・捏造。在校生に言わせても不満満載。生徒たちは「
やるやる詐欺だ」って言ってたし、さらに校長面談では「やる気ない」宣言されてしまった。というか、都教委の人事部のいい加減さも痛感。
でも、まあそれをやれる教員はこの学校にはいなかったし、雰囲気もクラブだけしか生徒を繋ぐネタがなかったのも事実。更に運動部を中心に文化部の生徒も頑張っているのは応援したいけど、むやみにクラブの参加率を競う管理職って何なのかとも思ったコロナ禍の日々。結局ほとんどクラブ活動できてねーし。
② 僕の周辺では「
KDK:クラブだけ教師」へのダメ出しは普通になっているけど、もう一段階深く考えて
KKDKは反省すべき課題ではないかい?というかほかの選択肢を知らない教員が
大杉栄。でも、それってこに時代まずいじゃないかい?
探求も「深い学び」も関係なくKKDK。
いや寧ろ、いわゆる都立の伝統校や進学指導の主流はKKDK。
これじゃ私学に負けるだけだ。総合型選抜に対応できねーよ。だって推薦するネタがねー。
勿論これ教員だけが悪いわけじゃなくて、教科指導しか知らない指導教員と管理職が大半。
特に若手ほどそのKKDKの傾向は高い。だってそれで指導受けてきたばっかりだしね。
まあ、
国分寺高校時代から何度も参加した都教委主催の「進学指導の研修」はすべて予備校。
駿台・
代ゼミ・河合。おかげでユッキー佐藤との縁(学大の同窓:稼ぎ頭の筆頭だろう)ができたりしたけど、、それ以後の研修も形だけのアクティブラーニングや使えないICTの活用方法とか。(括弧)穴埋めの答え合わせ授業なんかやってないっての。いや、どれだけ「心に残せるか」ってのに腐心してきた教員ライフだぜ。
いや都教委の進学指導は既に「中等学校」に舵をきっちゃったし。まあ、それが取り舵なのか面舵なのかはわからんが、一般受験はもう多数派では無くなっていく中で、面舵だけじゃ出発できないんだけど。今は飛行機だからねトーイング車が牽引するんだけど。てのもあってこのブログと動画作りを始めた。こんなやつね。アクセスNOW
https://video.wixstatic.com/video/d3aa22_b83ad0346d2646bc8fd86c2489cf2fa5/480p/mp4/file.mp4
よく管理職の授業評価で「大学の授業みたいだ」ってコメントされるけど、大学だってこんな授業はやってないよ。いかに記憶に残すかって腐心してきた指導法だからね。
真面目に参加すれば忘れたいのに忘れられない授業だから=テストで笑える。
③
残りの教員人生(昔ならば来年度から年金生活)限られているけど、まあ何とか体力だけは残っている。これまでやってきたこと(外部連携・海外との関係:いわゆる「国際教育」や海外逃亡・環境問題=やたら最近SDGsとかESDとかって、、、もう俺ずっとやってきたことなんだけど>>大半は「やりがい搾取」だったけどね
(=だって都の規定では「勤評」に教科とクラブ以外の評価項目は無いし、異動の条件にも無い:文科省には知られても都教委は、、少なくても駆け込み寺的対応してきた筈のスギソウ時代)で、もうちょっと頑張ってみるかって思った2月13日月曜日。何の記念日?
神田川沿いの通勤災害が3年前のこの頃でした。
④スギソウ時代の
ユネスコスクール活動や上水でのダメダメnono活動ゼロの中で、勤務校内部だけでは
限界があるのを痛感した。
そんな所で生徒のために活動するには工夫が必要なんで「外部」との連携に期待してます。というか、これまでの30年++時代にその実績と実践は積んだ僕が結びたいと思います。全都の教員でもこんな事やってきた奴はいないって誰かに言われた。まあ、それはそうかな? こんな○○はいねーって?
学校単体での限界は教員側でも、生徒側でも痛感しています。でも、少なからぬ生徒のニーズがあるのも実感しています。まあ、それもあって多摩の山猿(生徒部主幹教諭の表現:実に旨い!苦笑)たちにもプレゼンや懸賞論文など外部コンテストへの応募指導や、海外大やAPUへの進学指導のサポートしてきました。もちろん学校内部の諸事情を外部では把握できないことも多々あると思う。その結果善意の人たちの心を砕く事が多々あるのは喜多さん[
https://www.facebook.com/1989kitakita?__の指摘通り。まあ、もちろん職員室の雰囲気や意見の不一致とからいろいろあるので。
でも、そのあたりの工夫をする必要はもっとある。まかせっきりてのダメだ。
⑤ これまで関与させていただいた方々と、今後の教員人生の残り5年(年金出るまで?)は更に深くつながっていきたいと思います。
特にNICEをはじめ、TigerMob やバリの高間さん、最近繋がりそうな湘南ブルーフラッグ(腰越の家の活用?)や日本全国の竹林対策や害獣駆除、あ、
都留文科大学の留学生企画はどうなった?って布村さんに任せた北欧企画もあった。ここで脱藩しとくべきだったか?でもやっぱ都の教育へのこだわりがあったのも事実。リターンは少ないけど?
⑥ 外国につながる子供たちや
外国人労働者へのボランティアとか、、、本当はこの辺り地理学の博士論文にしてみたいんですが=都立大満期退学以来仕事と育児を理由にしてサボってます。菊池先生ごめんなさい。あ、ほかの学会の論文もサボってます。おかげさまで子供たちは外国につながる仕事と大学で学んでます。
まだ、免許持ってる
IBとか
高大連携とかもやりたいけど、残りの人生の「
終活:何歳まで生きれるのか?俺」をよく考えねばと思いながら、より良き社会Better Nationに貢献したいです。
キング牧師みたいに暗殺はされないだろうけど、ろくでもない死に方はしたくない。だからもちろん「
受験世界史」から「世界史教育をとりもろす」のはやり続けます。だって、、世界史教師として世界を見ちゃったから。でも、僕はユッキーみたいにカイロに移住するのは無理だけど、海外に出るのは得意とするところだから。この
体力と気力がどこまで続くのかってのが課題だ。次は
ボリビアかな?ウソウソ。ちと遠すぎ。でも常に僕の頭の中で雨のように降り続いている言葉「
もう少し暴れるつもり」でございます。
近日中には異動先での打ち合わせがあります。4月から何ができるか、できないかはそこからです。でも、職場状況がどうであれ、こんな感じで生きていくかな。
Raindrops keep falling on my head
But that doesn't mean
my eyes will soon be turning red
Crying's not for me
'cause I'm never gonna stop
the rain by complaining
だって俺は自由だから。でも心配事はたくさんあるぜよ。