fujinosekaic’s 世界史授業備忘録

世界史教員生活30年記念

氷雨の1月20日 動画linkに行ってくれると嬉しい。青虫の皆様に拡散希望。

季節外れの海を見つめながら、駒東の駅前で希望の青いジャケットの生徒達を思い出した。もう、マックもお好み焼き屋もつけ麺屋もないけど。

もう二度と会えないと思うと涙だよね。

その後も、青虫たちだけじゃなくても、「明日にはばたく生徒達」を何回も送り出してきた。ある意味僕が夢の中に連れて行って貰った訳だよね。

あれから10数年でこんな事してきました。

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時の過ぎ行くままに思い出は募ってくる。

まあ僕自身はどこの学校=境遇でも「楽しん」で来たし、これからも I am all right.

だけど、これからも繰り返して言うよ!明日に羽ばたく人生って旅は続くぜ!

だから余計にこころは切ないぜ!

国際高校以後、その手法を応用して杉並総合高校の「国際化」計画や上水高校での「勝手に探究活動」とか、今の勤務校:東久留米総合高校での総合学科の探求活動とか、、、僕にとっての希望の空はやっぱ君ら「青虫たち」だったのだろうか。

で、僕は去年の9月で還暦を迎えた

人生の黄昏の前にして、もう間もなく教員生活の終わりも告げるだろう。

だけど、もう少し暴れるつもりだ。

それもこれも君たち青虫たちとの時代があったことを思いだし、その経験でその後の10年ぐらいを過ごしてきた。これからも=サッカー部付属の都立高校って揶揄される今の学校だけど、何とか彼らをサポートしてあげたいと思っています。

現実はそろそろ学校の壁を越えて何かできないかと模索中です。

よかったら誰かコラボしてくれると嬉しいです。

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苦しくも再会してしまった青虫の人々! このブログ拡散希望ぬ。

こんな事やっていた教員もいるって事。

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おかげで2000万円ぐらいの資金は搔き集めてやってきたぜ。でないと都立高校の生徒を海外に送るのは大変なんだよ。

未来の自分の可能性を信じて前に進むしかないしね。

冒険をしなければ何も始まらなしさ。もう僕は若くもないけど。

本日の駒東の駅前より まあ、土曜なんで国際生は少ないけどね。

午前中オリセンでの仕事があったので寄り道してみた8:25分。

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良かったらウチでBBQでもやろう! 
7-8人ならば泊まれるし。

 

あいなき時代の共通テスト世界史分析③ WDCのC

サミットや国際会議で英語の出来ない日本の政治家のコメントをしたけど、この主題も裏を考えると、「よく考えられて」いるなと一人笑いをしながらの解答分析である。もうちっと言うと、「国語」と「国民」と「労働力」があまりにもガチガチになっている日本だと考えられない事かもしれない。でも、既に政府・自民党外国人労働者の導入を規定路線というか、単純労働者を含めて既に国民が知らないところで始まっていたという過去完了形でしょ。更に訳判らない規範意識同調圧力という目に見えない「酷語」と受験「英語」で苦しむ生徒達。コンビニのバイトすら奪われた日本の若者。

ある意味そこに愛はあるのか? 残念ながら日本には「I」は無いのか?I think,too.

自己決定権と未来に希望無き日本には泣きだよ。嫌なら「鎖国か?」って脅しだし。

今年の問題は問題文を普通に読めば知識が多くなくても解答できる傾向が高杉晋作!!

され、出題レベルとしてはこんなんでいいんかい?ってレベルのフランス語訳?だし。

1488年、南緯29度、現南アフリカ共和国のポート・ノロス付近でディアスは、嵐に遭って13日間漂流していた。嵐が過ぎて陸地から離れてしまった事に気付いたディアスは陸地に近付くために東進するが、陸地に到達しない。そのため北上してみると、陸地が西側に現れた。ディアス達は気付かないうちにアフリカ南端を通り過ぎていた事になる。2月3日にモッセル湾(英語版)に上陸。これをもって「ディアスのアフリカ南端到達」としている。

ディアスはアフリカ南端のアガラス岬、南岸のグレート・フィッシュ川を巡り、このまま行けばインドまで到達する事がはっきりした段階で引き返した。これは乗組員の不満を抑えきれなくなったための妥協の結果と言われている。

1488年5月、帰路に喜望峰を発見する。「ディアスの喜望峰発見」とはこの時であり、資料によってはアフリカ南端到達時期と混同されることがある。

リスボンへの帰還
1488年12月、実に16ヶ月と17日に及ぶ(約2030kmの未知のアフリカの海岸に渡る)航海を終えたディアスはリスボンに帰港し、ジョアン2世に成果を報告した。ディアスは当初、その苦難の航程から「喜望峰」ではなく「嵐の岬」(Cabo das Tormentas) として報告していた。だが、東方への道を開くという成果に喜んだジョアン2世が「喜望峰」(Cabo da Boa Esperança) として名前を変えさせた。

その後のディアス
1497年のヴァスコ・ダ・ガマのインド航海に際しては、彼も水先案内人として(しかし確実に従属的な立場で)艦隊に参加し、ヴェルデ岬まで同行している。

1500年、ペドロ・アルヴァレス・カブラルのブラジル探検隊に参加し、ブラジル発見に立ち会うが、帰途の海難事故のため他界。

それにしても本文をちゃんと読めば解答できるって、

今までの反省?への過剰反応?これで予想配点4点?
てか、まだこの段階で「帝国主義」って概念あんのか?

まあローマも「帝国」だが。そんな意識あったんだろうか?

 
これだけ裏金問題by○○党A派は何人逮捕か?でもめている日本なんなんで「必ず裏がある」かと必死に考えたんですが、この世界史なのに「国語」の問題には何にもありませんでした。これまであれだけ日本語を大量に読ませてきた(読んでも解答には関係ない文字だけの嫌がらせ?)センター/共通テスト世界史なんで何かあるだろうと考えたけど、、、、何にもなかった。
ジーパン刑事じゃないけど「なんじゃこりゃ」だわ。南無!
 

共通テスト世界史分析② 夏の「線路は続くよどこまでも」から

 全国の龍っちゃんをはじめ「鉄オタ教員」の方々にはほくそ笑んでいるかもしれませんが、「鉄道ネタ」が出題されています。僕の夏の報告は無駄ではなかったのかも?

で、The Doobie BrothersのLong Train Runnin'でも聞きながらスクロールしてください。

https://youtu.be/m4tJSn0QtME  将にIllinois Central Railroad中西部のイリノイ州(シカゴ=オバマ元大統領の地盤)の鉄道だから。そこに愛があるかどうかは知らんけど。

このOmahaの先にあるのが1869のThe Central Pacific Railroad (CPRR) と

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Illinois Central Railroad 201, a 2-4-4 at the Illinois Railway Museum, Union, Illinois.  

実際出題できいてきているのは、鉄道とはなんも関係のない部分。出題者に鉄道愛は無いのかい?  更にあまり世界史とは関係無いグラフ読み取りが続くよ

で、更に「ロシアより愛をこめて」では「大序曲1812」でも聞きながら見てくれて。

で、ここでイタリアが出てくるわけないよ。007はタチアナとベネチアに逃げたけど。

Wikiよりでも! 1891年に建設を開始し、露仏同盟を結んでいたフランス資本からの資金援助を受けながら難工事を進めた。軌間は1524mm(後に1520mmに改める)の広軌を採用した。これには、「1435mmの標準軌を採用した欧州と同じにするとナポレオンのような侵略者に使われれば脅威になると考えた」「皇帝の招いたアメリカの技術者が広軌論者だった」など様々な説がある。新幹線のレール幅は1435mm=横3+2席です(狭&泣)

アムール鉄道(アムール川北岸の国内線)工事に従事する囚人 1900年代初頭 

スターリン独裁政権により追放された多くの政治犯がこの沿線で強制労働に従事した。 

で、インドを出しながらシベリア鉄道と露仏関係を聞いてくる。でも鉄道を教材にすることで暗に「日本の鉄道戦略の失敗」を示唆しているのだろうか。特に、高速鉄道のビジネスを考える意味でも、また日本のJR分割民営化による地方部分の鉄道政策が崩壊する中で、北海道、東北、そして地震のあった富山・石川県境や静岡県と東海の対立など世界史をやりながら「日本」の安全保障と「食」を考える問題になっているように思えてならない。まさに「悲しみ本線日本海」である。チャイコフスキーを聞きながらより演歌の石川さゆり能登半島」でもちゃんと聴きながらこの地図を見た方が良いだろう。東南アジア諸国に中国のCOPY新幹線が爆走し始めている。流石にマラッカ海峡にトンネルや橋をかけようとまではいかないかもしれないが、まさにインド・太平洋の安全保障と密接に関連している問題を示唆する「さらばシベリア鉄道」かもしれない。

この部分は問題文等をよく読めば解答は簡単ですという出題者のがあるのかも?






共通テスト世界史の陰のテーマを考える。①選挙に行こう

速報版でも載せた通り、この絵が浮かぶかということから1問目は入りました。

更にこんな預言めいた記事(いちゃもんじゃないよ)も書いてたのね 

又Y社教科書/用語集の誤記問題。某B社模試とあのY川出版の罪か? - fujinosekaic’s 世界史授業備忘録

要は政治家(首相)とライバル(国家でも国内でも)の重要性を意図的に問いている=説いていると思うのは僕だけでしょうしょうか。立ってる方も座ってる方もって国際間のでのライバルを象徴しているようです。でも、こんな国際会議で彼らはどのように話し合いをしているのだろうか? 通訳も無く会議ができるって、、、更にここにはまだ日本は出てこないが、、、、、こんな会議に日本の首相が存在?有り得ないですね。今でもサミットでは「入っている」雰囲気だけは出していたり、集合写真では存在をアピールしてけど、、結局蚊帳の外ですよね。未だに通訳無くては雑談すらできないし、、というか実は英語で雑談って難しいんだよ!! 特にバートーク:飲んでる時の会話ね。

で、更に対抗関係:ライバルという部分で出てくるのが「飴と鞭」。飴=社会政策=年金とかがテーマとして出している。だからこの作問者は暗に示唆している? 現状の国内のライバルを消して実質的に「一党独裁体制」いや「一派独裁体制」が続いたこの失われた〇年の中で、「世界一進んだ社会主義国家」と揶揄される日本を「取り戻した」?むしろ某国に「明け渡した」状況を受験生に問いかけているように思われてならない。

更にそれに対して何も運動をしない(できない)教員組織とか校長会とか?ありや?

Good-Bye! Conservative Prime Minister Benjamin Disraeli says goodbye to his political rival, William Gladstone, who was giving up the leadership of the Liberal Party, and not intending to appear much in Parliament during the 1875 sessions. Gladstone had already published a pamphlet challenging the Popes claim to infallibility, and was about to publish a second one defending the first pamphlet against various criticisms it had attracted. (Gladstone would return to politics later.) Date: 1875 G翻訳だけ張っておきます。

さようなら!保守党のベンジャミン・ディズレーリ首相は、政敵のウィリアム・グラッドストンに別れを告げたが、グラッドストン自由党の党首を辞任し、1875年の会期中に議会にあまり姿を現そうとしなかった。グラッドストンは既に教皇の無謬性の主張に異議を唱える小冊子(こういうのもクリスチャンじゃない僕にはよくわからん!大先生とか誰か解説して!!)を出版しており、最初の小冊子が集めた様々な批判から守る2冊目の小冊子を出版しようとしていた。(グラッドストンは後に政界に復帰することになる。日付: 1875 で、人種問題を掘るつもりはないけど当時の英国では絵的に示したのよ。君はBenjaminだって。意味は分かるでしょ。まあ、The ✡ だからね。

Thronjubiläum: Jetzt hat Elisabeth Queen Victoria eingeholt - WELT

で、保守党内で上層部に上り詰めることに成功し、保守党首となり、2期にわたって首相(在任:1868年、1874年 - 1880年)を務めた。庶民院過半数を得られていなかった第一次内閣は、短命の選挙管理内閣に終わったが、庶民院過半数を制していた第二次内閣は「トーリー・デモクラシー(Tory democracy)」と呼ばれる一連の社会政策の内政と帝国主義の外交を行って活躍した。自由党のウィリアム・グラッドストンと並んでヴィクトリア朝政党政治を代表する人物である。でも、そのためにアジアやアフリカでどんだけ犠牲が出たんだ?その後の植民地政策は?更に、庶民の犠牲は?だからこそ選挙は大切なんだよね。だから出題者は「選挙に行け」って言いたいんじゃない?続く米国史ライバル関係(政党と大統領と白人と有色人種)で考える出題です。

出題者の危惧は政権交代や真面目な政治家が欲しい

ということじゃないかな。

さもなくば飴と鞭」どころか鞭だけになるよって。

自国の政治家(売国政治屋=てか国家は実は関係無かった?)に,こんなに甘く見られている国民て無く無いですか?

ちゃんと世界史を勉強せんと鞭の無知か?

でも、暗殺はダメだと思うけど、歴史の必然かな? 寧ろ学ぶべきは「超世界史」かな。

とわ言え、信じるも信じないのもアナタ次第です。以後の部分は別掲にします。

 

 

 

 

専門(僕にはそんなのないけど)外の所は予備校講師とかに任せるけど 随時更新

とりあえず、ある程度は知っていると勝手に思い込んでいる英語圏がらみのとこだけでもと考えてみました。まずは下記のPDF読んでね。PDFだから滲んで読みにくいけど。ほんとにPDFはやめてほしいけどしょうがない。

で、これを読んで「年金制度」、政治的な社会福祉と議会(議員)の関係を考えるってみたいだが、60歳の定年迎えたのに65歳まで年金出ない(定年延長=後出しじゃんけんじゃけんの!!!)僕なら考えるネタだけどね。作成者は同世代か? で、英独の政治家と政党史を考える問題なんだけど、本文に少し疑問。違っているとは言いにくいけど、、、どうなんだろうか。

まあ、リード文に自由党ってあるからそれで考えるしかないけど、、、てかそこにほぼ答えが載っているみたいなもんです。また労働党は資料の後半にでているし。年代から推測できるでしょう。日本の政治状況と照らし合わせてみると心がざわつく問題です。

1878年のベルリン会議ビスマルクと握手しているのはロシア駐英大使ピョートル・シュヴァロフ伯、ビスマルクの隣にいるのはオーストリアハンガリー外相アンドラーシ・ジュラ伯。左側の椅子に座っているのはロシア外相アレクサンドル・ゴルチャコフ公、ゴルチャコフと話しているのは英首相ビーコンズフィールド伯ベンジャミン・ディズレーリ=the イスラエル人 リード文の向こうにこの絵が浮かべば正解です。

   ④ フェビアン協会を基盤の一つとして結成された

だから④と考える人を引っかける問題かな?ちなみ③は誰? the ✡ だからね。要は以下のイラストが浮かぶかどうかかもしれない。なお、①は提出されたけど嬉石さんの時は否決でして、アスキス内閣のもとでやっと成立だからね


あトリー政権 (1945年-1951年) wikiのこれ読めってか? でもこれ読むと問8が混乱する理由にになるわね。

労働党が行った福祉政策の方向性を指して、「ゆりかごから墓場まで」という言葉が作られた。また、1935年に党首に就任したクレメント・アトリー第二次世界大戦勝利直前の1945年総選挙労働党を勝利に導き、挙国一致体制で戦時下の舵取りを担った保守党のウィンストン・チャーチル政権を下野させ、ジョージ6世からの組閣大命を受け首相に就任した。アトリー内閣では石炭鉄道、通信などの重要基幹産業の国営化を行った。ただし、フェビアン協会の影響力などもあり、党内で教条主義の影響力は限られ、キリスト教社会主義社会改良主義の影響が強かった。また組織としては労働組合の組合員が事実上自動的に労働党員となるなど、組合の影響力が非常に大きかった。

1951年総選挙労働党は敗北し、チャーチルが首相に再就任して保守党に政権を奪還されたものの、基本的にアトリー労働党内閣の福祉国家政策は継承された。しかし、こうした福祉政策の充実と基幹産業の国営化は、植民地独立によるイギリス帝国の没落と共に国家財政を逼迫させ、経済の悪化をもたらした。こうした状況は英国病と呼ばれた。優遇された労組の度重なるストライキにより社会が麻痺状態に陥った不満の冬1978年1979年)がイギリス国民の労働党不信を決定づけ、労働党は18年に渡り政権から遠ざかることとなった。1980年代から1990年代中頃までの保守党政権時代で特にマーガレット・サッチャー内閣にとってはこの英国病の克服は重要な課題であった。そして多くの労働者の涙が流れたわけよ。

蛇足情報 英国の年金 男女ともに65歳(2020年 5 月現在)
・なお,2020年10月に男女ともに66歳に引き上げられる。その後,2026年~28年にか
けて67歳,2037年~39年にかけて68歳に引き上げる予定。
基本受給額(2020年度) ・基礎年金(満額) 単身:週134.25ポンド,夫婦:週214.70ポンド ・付加年金:加入者の所得に応じて支給 
・一層型年金(2020年度):満額で週175.20ポンド(個人単位)=32,389円

さて次は僕米に。ここは留学してたんで米国史は結構やってきました。MOの妥協から

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紛らわしい!でも簡単だから許す。

ミズーリ妥協Missouri Compromise)は、1820年アメリカ合衆国議会において、奴隷制擁護と反奴隷制の党派の間で成立した取り決めであり、主に西部領土における奴隷制の規制を含んでいた。北緯36度30分のメイソン=ディクソン線を西に延伸したミズーリ妥協線(Missouri Compromise line)と呼ばれる境界線の北にある元ルイジアナ準州では奴隷制を禁じたが、既に提案されていたミズーリ州の領域内を例外とした。


⓵Trail of Tearsは、1838年アメリカ合衆国チェロキーインディアンを、後にオクラホマ州となる地域のインディアン居留地に強制移動(Population transfer)させたときのことをいう。このとき、15,000名いたチェロキー族のうちおよそ4,000人から5,000人が途上で亡くなった。凄い損耗率。軍隊なら全壊レベル。旅の途中で人々は「アメイジング・グレイス」を歌って士気を高めていたと言われている。伝統的なキリスト教賛美歌が、この時より前に宣教師のサミュエル・ウースターとチェロキー族のエリアス・ブーディノットの手助けによってチェロキー語に訳されていた。以後、この歌はチェロキー族インディアンのある種の国歌になった。

「自由土地支持者の喉に奴隷制を押し込む」 1854年に発表されたこの風刺画は、カンザスキューバおよび中央アメリカと記された民主党の台(綱領)の上に立つジェームズ・ブキャナンとルイス・カスに押さえ込まれ、フランクリン・ピアースが髭を押さえ、スティーブン・ダグラスが黒人を飲み込ませようとしている、巨大な自由土地支持者を描いている。って意味わかるかな? 

で、お約束のグラフ読み取り問題。これで何もききたいのか?解答の組み合わせは5だけど実際はどうだったかは党に聞いてください。

で、夏休みの高大連携全国大会@立教大学で扱ったインドの交通。ここでは鉄道ではないけど、意味は同じ。流石「インド」の今を反映した問題だ!西葛西辺りの街頭で質問してみたいよ!

ってここまで更新の転記をしてた時にベネッセがミスったとの事で進路部対応に追われる。see you!

お経のように唱えてくれ。マウリア、クシャーナ、グプタ、バルダナ

更に以下の問題に至っては僕は預言者か予言者かって問題です。これが予備校ならば予想問題的中とか宣伝するんだろうが。

そして毎年序曲1812で扱うチャイコフスキーがらみの問題ね。


で、最後はアメリカ大陸に関連する問題=WDCのCです。

これは消去法で考えるかね。

 

こういう記事(1/12朝日新聞)見ると心がざわつく

優秀な生徒相手なら何でもできるんだけど、、、

偏差値50前後を相手にして欲しいわ。

まあ、西の生徒ならば簡単にできるとことが、、、

やめておこう=守秘義務もあるし。

でも問題は誰が指導してるかって事。トレーナーの西田弘次さんて教員かな?知らんけど

基本的にこういう企画やるには予算と人事が重要です。西高の場合は統括校長や都教委の威光も効いてそうだから抵抗勢力は少ないだろうけど。大抵の都立だと教員の中に反対勢力が大杉栄!更に管理側も国際交流どころじゃないぐらい位課題満載じゃね。まさに同情するなら金をくれ!ってか?

こんなことは隣の杉並総合高校時代に総合学科の生徒とやってきたことなんですけど。

まあ、日経新聞には掲載していただいたし、岩波のジュニア新書にも紹介してもらったけど、、朝日新聞はどうだったかな?まあ、それも5年前・10年前の事なんですけど。ボランティアをやりたい!だ どんな機会でも「国際感覚」の芽を育ててほしいは。いや、問題なのは学校側・教員側なんだよね、最大の抵抗勢力なんです。

学校予算=クラブの予算を喰うな!とか クラブの練習試合やその練習計画・公式戦?の邪魔になるだとか、もちろんそれ以前に引率とかしたくない教員ばかりです。そのうえ海外でしょ。もちろん手当や移動経費等で都教委側の算定基準にも課題あるけど、やる気のない=やれない&指導できない教員が多すぎて泣けてきました。

 

 

 

 

 

僕に季節外れの海はない! 教師こそ海外研修の勧め

日本社会の同調圧力と規制の中では自分自身の免疫力が低下することもあって、治療を兼ねて日本を外から見る努力をしてきました。勿論、簡単に海外に出れる訳ではありませんし、学芸大学社会科同窓の稼ぎ頭の代ゼミ講師の佐藤(ユッキー)さんみたいに海外@それもカイロ!なんて凄い!)に移住ってのもあるけど、都立高校世界史教諭には無理な話ですね。でも、精神の安定を保ち、免疫力を維持する為にも万難排して海上」と「世界」に出る努力をしてきました。

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 受験教育的な「偏差値」てのが旅にあったとしたら、僕の「旅力」偏差値は77ぐらいでしょうか。勿論、1979年以来ですからほぼ半世紀ですのでその時間軸での経験値は高いと思います。無論、すべてが安泰であった訳もなく、事故や病気、盗難や置き引きなども経験してきましたが、とりあえず「旅力」だけは高いと思います。

言語的には努力不足です。英語以外(まあ、高校・大学時代に2年も留学してりゃね、、ある程度以上の英語力はあります=英語教員じゃないんで検定等の試験は受けてません)はあまり使えませんが、「雰囲気」と「直観」で乗り切ってきました。勿論もう少し若ければ訪問地の言語を学ぶべきでしょう。でも、これだけ英語が広がり、ネット社会になれば自動通訳もあるし、とりあえず旅を続けていけるコミュニケーションは可能であります。多分これは日本の「英語教育」のマイナス部分の影響を受けてない解脱すべき点の典型例でしょう。

 よく生徒達は「英語ができない」って言うけど、そんな事を気にしてるなら「鎖国」でもしますか? 日本国政府自民党は「使えない日本人」に代わって、外国人労働者を導入することにしてますよね。勿論、伝統的な意味でも日本社会としての「日本語」と「日本文化」は大切だけど、その弊害として異質なものを排除したり、社会的な少数者を差別したり、、、、でも世界に出れば「差別」なんて当たり前にあるし、相手に利益があるかないかの経済的評価は常にあるし、、 不思議なのは日本にいる「外国人」が差別を受けたとか、見た目が外国人だと常に「英語」で会話を押し付けてくると文句を言ってくる。でもそれ以上に英語で不当な差別受けてる日本人て多いんですけど。

 でも、根本的に「なぜあなたは日本にいるの?」ってテレ東の番組みたいな問題が根本にあるでしょ。勿論、歴史的な経過や課題とそれに起因する様々な問題は僕自身が「世界史教師」だから、かなりな深さまで存じ上げておりますが、そんな彼らの一部の人々を除くと、外国人がこんなに暮らしやすくて安全な国はそんなにないと思うのは僕だけでしょうか。日本の社会の制度的、社会的・法律的な問題はたくさんあるけれど、それだって普通の日本国民だって同じように苦労しているのは同じです。よく「ちゃんと税金も納めているのに」って言う話がありますが、日本社会の無言の規制や圧力、訳わからない抵抗や妨害なんてのも苦しんでいる日本人も沢山いるわけです。その最悪な部分が影響してるのが「英語力」と「日本の英語教育」かもしれない。無論、英語だけでなく全ての部分で日本の教育の過積載とやりがい搾取は内部の人なんで良く存じ上げております。でも、こんなに生徒も教員も努力しているのに、、、out come が少ない社会も珍しい。責任者出て来いよ

そして世界の2024は選挙の年です。でも、こんなに「悪い」ことをしてもお縄にならない我が国って何なんだろう。少なくとも世界の恥ですよね。

 少なくても「国際企画」をやる際に、そんな英語科の教員の負担を考えると声をかけることに躊躇するのも事実。まあ、同時に彼ら彼女たちが「使えない」って人も少なくないのも何なんだろう。要は場数と修羅場を踏んでいるかってことだと思う訳ね。いや、英語なんて1つの側面だから。「世界」を考える時には英語って教科なんて関係ないんだけど、、、要は楽しくやれるかどうかってところだと思う訳です。

 せっかく公的な補助も頂いてたり、海外に自分の(保護者の)お金使って行く以上は!って皆頑張る!てのは当然なんだけど、それも空回りする傾向が高い。特に公的な機関が絡んているとね、、、、過去に国際交流基金の架け橋企画でスギソウの生徒を引率した時なんて、生徒の実態や現実をわからない事務局?側が暴走してて、めちゃくちゃハードなアメリカ横断ウルトラ強硬スケジュールを組んでくれた。さらに交流先の学校等でに「日本に関するプレゼンテーション」をするって「お題」が出されたわけだわ(電気自動車とか、日本の先進性?とか、ニッポン素晴らしいね自画自賛の連続)。

真面目な日本全国の「代表生徒」は郷土の代表として「紹介PPX」を作成して、事前の事例紹介でも必死にプレゼンしてたっけな。でも、それ見ていると不安満載だった。

結局現地で一番受けたのは歌って踊っての「芸能スギソウ組」だってのは皮肉。概要は下記の動画を参照してみてください。

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最期はパートナーだった進学校の都立井草高校も巻き込んでの巡業でいした。更にその経験は架け橋プロジェクトin Jakartaで現地の進学校生徒たちと「東京音頭」でした。世界は「楽しい」でできているんだけど。勉強だけじゃダメだろうに。

もちろんこれらの前提にはトビ立てで実証してきた経験@セマランがあっての事です

時間あったら下記の動画でも見てほしい。

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そんなこんなで何度も利用したHND。この写真の先はどうなってんだろうか。

そろそろ始動するかな。でも、本来はこういった企画に「大学」などの公的機関が関与してくれると管理職や教育委員会的にはやりやすいんですけどね。どこか「国際」とか「グローバル」とかいってる大学が名前だけでも貸してくれるといいんですけど。もちろん積極的に関与してくれれば優秀な生徒の青田刈りにもなって一挙両得だと思うのですが。そんな高大連携ってのもありかと思います。

まあ、その前に学校教員自身も体験してほしいですよね。それぐらい「公務」で出してくれればいいんだけど。変な官製研修よりも教育的効果あるんだけど、、、て研修の講師@水道橋もやってた自分が言う? それくらい価値があるって事です。もしくは無休でいいから教員休ませてほしいわ。せめて国内のボランティア活動みたいに5日ぐらい休ませてくれれば、往復土日に絡めて9日間になるんだけど。本来はtobitateみたいに最低でも2週間の活動が必要だとは思います。だって観光旅行じゃ意味ないでしょ。でもそんな企画が大杉栄

 

 

Baliからの2024 冒険を始めてみる?Beyond ORE 

2024 Happy New Year, and what a year it’s been.

Johnの歌じゃないけど、どんな一年だったかな? 
This is a special time in part because it gives us all an opportunity to reflect on

昨年を振り返るだけじゃなく、the last year or last 35years service as a full time classroom teacher in Tokyo public high school system 都立高校教員人生35年も含めて

and my hopes for the year ahead. 来年の希望を考えてみたい。

Today, I want to tell you about one of my hopes for 2024.

BGMを兼ねて別ページでリンク開きながらスクロールダウンでもしてください。

https://video.wixstatic.com/video/d3aa22_ff26bd6fd0d7495cb19285c63d44b836/720p/mp4/file.mp4

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昨年の9月で60歳になりました。人生の時間経過って早いね。学芸大学卒業以来、次世代の「若者」に何ができるかと、彼らの生活の向上を世界史の教室から考えてきた人生な訳だわ。
This September 2023 marked 60 years since I was born and I can’t believe how quickly time has passed! In the years since I left university,I have been working to inspire, empower, and connect the next generation with the tools I can provide that students need to make change in their better lives as one teacher in classroom of world history or social studies subjects.
以下、面倒だから日本語だけで!とも思ったけど、Now a day, 教科以外の総合学習や探求的な学習に関与し始めたのが、国立駅定時制(第五商業)や国分寺からだから30年。世界史教員だけでは済まない、終わらない教員人生なのかもしれない。でもas a World history teacher it was fun to be with students who has oversea roots, experience, born, educated in foreign country, as well as exchange students (long tarm and short tarm) and returnees 世界史教員としてはありがたかったのが、外国にルーツのある生徒や海外の学校との共同事業=姉妹校交流とか留学や訪問団の受け入れである。I could feel reality of the world what was going on and tried to talk about those global issues in my classroom instead of just textbook and worksheat.

リアルな世界情勢をリアルに紹介してきたよなぁ。教科書を超えた教育活動だったわな。併せて、出来るだけ自分でもリアルに世界を周り、教科書に出てる所には大概は足を運んだ。So that why I also have visited some countries around 50? which were oftenly  discribed in the history text book.訪問国の数には意味ないと思うけど、(まだ南米とベルリンには行ってません I have not been to Latin Amerika and Berlin)

Not only US and Oceania (ANZ)留学していたアメリカやオセアニアだけじゃなく、I have stayed so many places not as just a touristic traveler but as one of local peoples eye level minded hobo with support of friends and counterparts in many countries.

Thanks you guys again!

生活者レベルの視点から様々な場所に滞在し、幸いにも現地に住む友人、知人の援助もあって単なる観光旅行では終わらない経験をしてきた。もちろんコストは極力押さえてだから、楽しいだけじゃなくて、嫌な思いもしたけど、だから余計に人種問題や異文化理解には課題意識を持って授業やってきました。更に、日本社会特有の同調圧力権威主義的な体制、違いを認めない雰囲気、運動部の丸坊主とかには反吐が出ます。そのせいで可能性を潰された生徒や不必要な苦労も沢山見てきました。まあ、それも日本社会を外から見る機会が多かったことや、海外との交流から得られた事ですかね。知らなければそれで済んだ事かもしれない。英語で日本の悪口言っている外国人の会話も聞こえなければよかったかもしれないけど。でも、Still,I believe we can see beyond our differences, tune out the noise and listen to each other, and put ourselves in each other’s shoes, believing a better future is possible. 不可能かもしれないけど、That’s what our young people believe, too—and it’s why I have beeen working tirelessly to chart a better course or or just beeing in a classroom as teacher by myself.
でも、昔ならこの3月より年金生活できるって計算で来たけど、それも5年後に強制的に延長? でも岸田政権の退職金増税政策は延期されたとはいえ2024の可能性はある中で、とりあえず入都した当初の予定通り3月に「定年退職」します。やはり老兵は消え去るのみです。

f:id:fujinosekaic:20230823123901j:imageいや実は、My parents are 実父母(91&86 y.o.)の体調もあるので「再雇用短期=8割労働 extended yearly contract with less work 80% wage 」にして貰いながら様子を見ます。I can't predict their health condition and mind wellness.いつ「お呼び出し」があるかわからない=20年ぐらい前みたいに「保育園」からなら良いんだけどって、育児休暇から子育ての日々を懐かしんでます。おかげさまで、娘は2度の北欧留学を経て院卒で外資系(インド系)のコンサルとして、息子はまだボローニャ大学Alma mater studiorum - Università di Bologna の2年目ですが単位の問題等で苦しんでいます。

I still clealy remember our kids nursely school days and they grow up now but still struggling. 苦闘してるって? 僕もだわ

入都以来35年奉職してきた意味? 何ができたのか? 勿論教室で生徒相手に授業やっているのが好きな以上、管理側の道は考えてこなかったし、だからって教科書と書籍だけの机上の空論は僕の流儀でもない。むしろ上記のように世界を徘徊し転がりながらながら現実の世界を何とか若い世代に伝えたいと思ってやってきた。

特にこの10年ほどは杉並総合で始動した「国際企画=リンクの動画参照」のボランティアや環境活動・アントレとかを指導してきた事が、総合学習や「探求学習」と連携するようにも見えてきた。でも、僕的には時間切れポイです。コロナの影響もあって長く停止状態だったし、藤野異動後のスギソウは崩壊してたし=受験倍率も定員割れらしい、、上水なんて管理職自体がやる気がない。サッカー部付属高校と揶揄されるクル総では校長が英国ブライトンのサッカースクールに生徒送り込みたいとのことで僕も協力してますが、教員の中には「お金の無駄遣いだ」って言う人も存在するのも事実。

 で、さすがに都立高校では体制が整備できない=人材(生徒も教員も)がいないことを痛感しました。SDGsの時代って言いながら持続・継続できないのが一番辛いですよね。僕のやってきた「国際企画」それ自体が社会的な課題に挑戦するってことを生徒が学ぶいい機会だったんだけど、都立高校の現場じゃ予算もないし、不協和音も大きい。別に協力してくれなくてもいいから、少なくても足を引っ張るなよ!と思うけど、依然として抵抗勢力が教員側にも少なからじや。教科とクラブだけKKD教員は消えて欲しい。

そこで、僕が2024に考えているのが「国際企画」に関与できる・したい教員のサポートの為の「研修NPOの設立」からの再始動。

名付けてTeachers for Japan(仮)or  Beyond 俺”

だって生徒を海外に出す以前に、その引率者の教員や送り出す側の教員が世界を理解していなきゃ意味ないでしょ。現実問題として、同業他県の方々や独立行政法人の方々もかなり苦悩しているし、都教委に至ってはピンボケ企画が多すぎる(過去の事例的には旅行会社とかに丸投げ=これじゃ教育的な配慮がないし、意味ないよね)。
コロナ明け以後は元麹町の工藤校長をはじめ、私学が頑張っているけどその多くは僕の知り合いの外部組織への丸投げ。勿論、学校予算や参加生徒の負担金の問題、教員の多忙もあるから単純ではないし、関与する教員だって「クラブ指導」や公務に左右される。クラブは教科外指導で、分掌業務でもない=職務外のボランティアって立ち位置を理解していない教員も未だに存在するし=クラブやってもいいけど4:50までは教科や分掌の仕事しようって事だし、組合員でもないのに代休とるなよ。育休も産休も振替代休も組合が取ったんだぜ。Thank youって非組の人に言われたことないんだけど、なんでだろう? ちゃんと産業革命以後の世界史は学んできましたか?労働三権とか、昇給や労働条件の課題とかも考えてますか? 

横からただ乗り?横尾忠則の絵は好き!だけど、そんな奴が大杉栄だわ。

で、2024はまだ「職務専念義務」の制約がある中で、何がどこまでできるかはわかりませんが、「金銭」が関与しない形で「国際企画」とそのための「教員企画」を始動したいと思います。この備忘録ブログですら文句言う管理職もいたし。

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取り合えずは、我が家のホームとも言えるインドネシアでの企画を再始動できればと思っています。特に、生徒の参加も大切ですが関与する教員のマインドや企画の理解のために教員のオブザーバー参加(一部でも)や見学の企画を考えています。生徒が体験してきたことの意味を理解できない教員って、、

 交換レートの関係で「円」が弱い中でもある程度の活動ができることを考えると、遠くのアフリカや欧米よりも、アジアでの企画を重視したいと思います。実際、10時間以上も飛行機に乗るってのはもう体力的にもきついし、教育先進国といわれるフィンランドやスェーデンなど北欧(=ここ娘のホームです。こちらの企画も将来的には可能です)や、英語の研修として英語圏で見下されながら英語だけを学ぶよりは、世界で一番グローバル化したバリ島とかで社会問題を通して語学を学ぶといいと思うのですが。詳細は後日僕のHP等に掲載します。関心ある方はnomoreldp@aol.comまで連絡下さい。

歴史教育関係者で桃木先生のいるベトナム行くってのもいいと思いますよね。どうですが藤村先生!第三部会でツアー組みませんか?縦断鉄道の旅とかも面白そうですよ。

あ、三浦さんのいるうちにプラハ日本人学校にも行きたいけど、、、、

だから、教員も一緒になって学ぶ機会を提供したいのですよ。それが廻り回って日本の民主主義社会の構築と刷新になると思うのですが。
Together, they’re showing us that a renewed commitment to democracy and ongoing investments in our own communities are the key ingredients for bringing change home and world. 
だから教育関係者の皆さんに問いたい!
Now the question is: Do you believe in our ability to create change and shape the better future?
こんな2024だからこそ、自分の勤務校(東久留米総合高校)だけじゃなく、東京都全体、いや都県境超えて日本全体、いや世界中の現場の教員が考えるべきことが重要と痛感している日々です。格闘している生徒や教員が手を繋ぐ事。僕は無理だけどGazaとかも!ありだと思うのですが。公立は限界あるとしても宗教系の学校(特に仏教とか)ならやるべきだと思うのですが。鎌倉学園とかどうでしょうか?

These days, we’ve been undrstanding it is important that rowing a network of leaders-(teaceher or students) of all ages and any backgrounds-to build a brighter future for us all.So today, I try to reach out with a heartfelt invitation: you can support those young leaders(not only students as well as teachers) with me now. 

Or join us my project マイプロ 

operation 2024.



 

高大連携第三部会1217の「戦争」「平和回復」「秩序維持」と Media literacy: NIE &音楽等の資料学習

まずはこの曲を聴きながらスクロールダウンして下さい

Happy Xmas (War Is Over) (Ultimate Mix) - YouTube この時期よく聞こえてくるBGM?

日露戦争からベトナム戦争、さらに昨今のプーチン政権によるウクライナ侵攻・イギリス三枚舌外交にはじまるパレスチナ問題をはじめ、現在の「戦争・紛争」を終結に向かわせる有効な手段が見えてこない状態にある。責任者出て来いよ!!

これまでの歴史の変遷から、「秩序の維持と平和の回復」のためにメディアはどのように活用・利用され、また「戦争(紛争・宗教戦争・内戦含む)」に対して社会=大衆はどのように対応し、またそこからどのような対策や文化(楽曲)が生み出されてきただろうか? 生徒でも親しみの持てる=知っている教材を活用しながら「楽しめる」授業を提案する。年間カリキュラムに組み込みましょうよ! パクっていいから!!

・秩序の維持のために、メディアをはじめさまざまな取り組みがなされていたことを理解する。

・平和構築が一種の「秩序回復と維持」として機能していたかを検証する

・政治的な力学や外交・軍事を理解する。(ローマ帝国から始まるPAX ○○○○などとその影響力)

・同盟・条約などはどのように形成されてきたのかを理解するのに合わせて社会(世論形成)の変化を理解する。

・現代において、政治のあり方は社会秩序にどのように影響を与えていたかを理解するとともに、社会(大衆側)の変化を考察する。

キリスト教という普遍的権威が依然と世界を支配するなかで生じた非欧米社会秩序の混乱・宗教戦争ともいえる侵略戦争が、主権国家体制への反旗につながっていくことを理解する。

・一方で西欧的な感覚で形成されていった国際態勢や世論が、「同様の感覚・概念」として人種や民族・地域社会や国家を超えて、世界的な連帯を(若者=馬鹿者?)理解され、共有すらされたことを理解する。)

・勢力均衡システム、ウィーン体制や会議外交だけが現代に影響を与えたわけではない事を理解する。

・戦争に対して、「国際法」の整備や「国際平和機構」や文化活動(チャリティーコンサートや楽曲)が(第一次世界大戦以前からも)なされていた事を理解する。

・文化的な差異を表層部分だけ見ることでその本質的な意味や「自分事化」への理解が不足したまま、ある意味「商業的に利用」されているだけでなく、社会的な世論として操作されていることを理解する。

そんな中で最近あるノベール平和賞?の博士の死がありました。享年100歳って。

https://video.wixstatic.com/video/d3aa22_337e02d756224b79891e805188baf14f/1080p/mp4/file.mp4 

から動画を見てくれれば参考になるでしょう。同様の内容を「あの人のお友達」が送り込まれたNHKでも最近はこんな番組を作成しているようです。紹介だけはしましたよ。ネット(タイムフリー?)とかの再放送でも見てください。ついでに僕のも

https://fujinosekaic.hatenablog.com/entry/20231208/1702040842 どうぞ。

歴史的に、秩序の維持や平和構築のための取り組みはどのように積み重ねられてきただろうか。

それは現代の社会(大衆世論)形成にどのような示唆や課題を投げかけているだろうか。

自然発生的な要素以外にも世論形成にはどのような要素があるのだろうか。

「世界史」の学習であるにも関わらず、世界的には「標準」な活動・文化や音楽が日本では理解されていない現状を理解する。いかはそれを概念化するための関係図です。

一応ネットから歌詞と和訳を拾っておきました。って簡単な英語だから安心して下さい.

So this is Xmas 今日はクリスマス 何をした1年だった?
And what have you done?
Another year over 今年もまた過ぎ去って 新しい年が始まる
And a new one just begun

And so this is Xmas  そうクリスマスがやってきた
I hope you have fun  君が楽しんでいるといいな
The near and the dear one そばにいる人も 大切な人も 
The old and the young お年寄りも 若い人も

 

A very Merry Xmas メリークリスマス そして新年おめでとう
And a happy New Year
Let's hope it's a good one 願おうよ 良い年になることを
Without any fear 怖がらなくていいような年に

And so this is Xmas そう これがクリスマス
For weak and for strong 弱い人にも 強い人にも
For rich and the poor ones 富める人にも 貧しい人にも
The world is so wrong 世界は 随分おかしくなってる

And so happy Xmas そして とても幸せなクリスマス
For black and for white 黒でも白でも
For yellow and red ones 黄でも赤でも
Let's stop all the fight 止めよう 全ての争いを

 War is over! 争いは終わる
 If you want it もし君が望むなら
 War is over! Now! 争いは終わる 今この時に

ベトナムチャンバン村は空襲を受けた。逃げ惑う村人らとともに裸で逃げる9歳(当時)の少女だったキムフックを撮影した写真AP通信ベトナム人カメラマンフィン・コン・ウト撮影)は「戦争の恐怖」(The Terror of War)と題され、全世界に配信された。この写真は翌1973年ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門を獲得 Media界のノーベル賞

画像: ピューリッツァー賞などに輝く報道カメラマン 沢田教一。没後50年-『SAWADA』35mmフィルムでのリバイバル公開が決定!

50年前、ベトナム戦争で報道カメラマンとして戦場に散った沢田教一Kyoichi Sawada—Bettmann/Corbis
彼の生涯を綴ったドキュメンタリー映画『SAWADA 青森からベトナムピュリッツァー賞カメラマン沢田教一の生と死』A Vietnamese mother and her children wade across a river, fleeing a bombing raid on Qui Nhon by United States aircraft on Sept. 7, 1965.

 そう、黄色い人達も頑張ったんです。まさにPISAの好きなエージェンシーとして。

10/7からもう2か月が経過ということですね。

ガザ地区はどうなってるんだろうか。自分事化か?

70 80 90: CONCIERTO LIVE AID SABADO 13 DE JULIO 1985

アフリカ問題の大半はこの方たちの国の責任なんだけど、、、日本?1mmも無いから!!!

Live Aid あのクイーンの奴です for エチオピア Do they know it’s Christmas at all 1984

USA For Africa: We are the 世界 あのマイケルが動いた企画=まあ黒い人の子孫だし

RayもStevyもHarryも そしてBossとか白い人(アイルランド系もユダヤ系も)たちも

*Let's try again byアミューズ音楽事務所 日本だって頑張った音楽人はいるんで!

そんな12/7の夕刊からNIE これも見て!!

アンネの義姉の6年前の嘆き:10/7から2か月=終わらない殺戮と難民>>誰の責任UK!!ダロ

 とかく国・地域別の歴史学研究の弊害として、「ヨーロッパのバランス・オブ・パワー・システム」とよんでいるものは、キッシンジャー博士のようなユダヤ人社会の存在が日本の歴史教育からは「割愛」されている。単一民族的傾向(実際は単一などでは決してないが)の高い日本では、幕末からの国家形成過程の上で日本社会の普遍性に固執するあまり、視野狭窄があったことが今日の歴史教育にも影響している。特に、「ユダヤ人問題」を極端にタブー視し、ユダヤを語ることはあまりにも少ない。しかし、キッシンジャー博士をはじめ少なからぬ政治家や文化人・芸術家や経済人・経営者には「ユダヤ人」の存在があることは世界では常識であるのだ。さらに「日本人として」の普遍的な道徳観が国益の最優先課題にもなったことで、国家理性(レーゾン・デタ)の概念の中に、バランス・オブ・パワーの概念を見失ってしまった。

 国家理性は、国家の福利を守るためにはどんな手段を取ることも正当化されると主張したともいえるはずなのだが、現実の社会はそう単純ではなかった。そのような状況に疑問を抱く国民も存在するようになった。特にプロテスタントとしてローマからの離脱や、民主主義のもととなる立憲政治や権力の分離のための「歴史」的な経験を持つ社会では、普遍的な制度という古いビジョンに疑問を持つようになった若者たちが、新しい行動の自由を求め始めた。

 国家的な結合の概念は崩壊したのだ。その過程で彼ら「若者たち」の関係性を律する何らかの原則を必要としたが、それがLove & Peaceであり、ロックンロールだった。また、白人とは言え「2級市民」として差別されることの多かったアイルランド系の社会では、その民族的背景をベースにしたフォークソングと結合することでメッセージを歌に込めた。更には、長く差別されてきた黒人側もその異端性を正当化するかのように、レゲエやヒップホップといった楽曲を通して社会に問い掛け続けている。

 しかし、こういった「音楽」やカウンターカルチャーが持つ意味を言語的に理解できない日本では、その楽曲の意味や背景を説明・指導することができない。残念なことに楽しむ事も出来ないだけではなく、英語の教員ですらそれを避ける傾向にある。特に学校文化では「軽音楽」として揶揄すらする。

 皮肉なことに、このキッシンジャー博士の政治的な動きに対して社会的に抵抗したのがミュージシャンや音楽人たちであり、その彼らの多くも差別される側の人間であった。あ、日本の芸能界も、、、今日は止めておこう。

だからNIE News Paper In Education

Dec.7thの新聞記事(夕刊)よりのNIE;

都立高校生だってちゃんと考える高校生になろうぜよ! 

 

今夏に開かれたピースフォーラムで交流する広島とハワイの高校生ら=2023年8月5日午後0時28分、広島市中区、大滝哲彰撮影
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 真珠湾攻撃原爆投下――。米ハワイと広島の高校生が、それぞれの地で起きた「戦争」を学び、交流を通して伝えつなぐ取り組みがある。開戦から80年以上の月日が経ち、その歴史を刻む歩みは、世代を超えて受け継がれている。

 米国の学校で使われている日本語の教科書に、「原爆」の一節がある。その中で、おばあちゃんが孫に語っている。

 「おじいちゃんはね、その時、米屋の店のいすに座っていたんだよ。体の右側を全部やけどしたけど、うちへ帰ってきたんだよ」

 ハワイ在住のピーターソンひろみさん(75)がホノルル市のプナホウ学園で日本語教師をしていた時、同僚らと出版した教科書だ。広島の爆心地から約1・4キロで被爆した自身の父の体験を盛り込んだ。

 教科書にはもう一つ、戦争の話が載る。日本軍真珠湾攻撃があった1941年12月8日、「敵国人」として逮捕され、収容所を転々とさせられた日系人の話。こちらは、ピーターソンさんの同僚の祖父に起きた実話だ。

 教科書は全米に広がるベストセラーになった。ピーターソンさんは1億円超の印税をもとに、2009年に「広島平和スカラシップ」を立ち上げた。夏にハワイから高校生2人を広島に送り、被爆者や広島の高校生と交流するものだ。「一発の爆弾が何をもたらしたのかを、実際に見て、感じてほしい」。ハワイに戻って核廃絶署名活動を始めた生徒もいるという。

 この取り組みに、新たな広がりが生まれている。きっかけは、19年に広島からハワイに一人の若者が訪ねてきたことだった。真珠湾で感じた「異様な雰囲気」  

広島の平和教育プログラムに… 読めよな新聞記事

そんな日の記事にはオスプレイが! 

オスプレイは、ヘリコプターとターボプロップ機の性能を持ち合わせた輸送機。2007年に実戦配備されてから、死亡事故が相次いでいる。

今年8月には別の型式の機体が、オーストラリア北部で訓練中に墜落。乗員23人のうち米海兵隊員3人が死亡した。

昨年には米カリフォルニア州でも墜落事故が起き、海兵隊員5人が死亡している。

日本は自衛隊オスプレイの飛行を一時的に見合わせている。

防衛省は11月30日、米軍が日本国内に配備しているオスプレイ30機について、安全が確認できるまで飛行停止するよう要請した。

しかし米国防総省のサブリナ・シン副報道官は12月1日、米海兵隊が日本でオスプレイの運用を継続していると発表。また、日本側からの要請は確認していないと述べた。ロイター通信などが報じた。下記はBBCの記事

 

Kula ʻo Punahou、英語Punahou School に通った人達

https://fujinosekaic.hatenablog.com/entry/20231213/1702401515

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